2018年1月15日月曜日

「センター試験」を改革できるのか?

最後のセンター試験監督をした。

第1回は、まだ「共通一次試験」と言われていた時分、役所から大学に出向していた身分の頃に遡るから、もう25年以上は毎年正月明けに試験監督をしていたことになる。

ずいぶん長くしてきたなあ、というのが今の気持ちだ。と同時に、もういいんじゃないという気もする。うんざりと言ってもいいくらいである。

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センター試験はマークシート方式であり、あれでは真の知力・真の学力は測定できないなど、世間ではもっともらしい意見が提出されている。

ちなみに小生は、マークシート方式であるから真の知力・真の学力が正しく測定できないとは思っていない。

確かに、個別大学の二次試験は記述試験が中心だ。それは何も真の知力・真の学力を正しく測定したいというのが唯一の理由ではない(はずだ)。

マークシート方式では最後の答えだけを求めるがゆえに、答えが間違っていると自動的にゼロ点になる(この点も単純にこうだとは言い切れないのだが)。あと一歩で正解に到達するところであった受験生も、半分程度は正解までの道筋を辿っているものも、まったく箸にも棒にもかからない者も、答えが間違っていたら一律にゼロ点になる。正解を得た者だけがプラス得点になる。

一回でも採点業務を経験した人であれば、とっくに分かっていることだが、こんな機械的採点だけで試験問題を構成すると、ゼロ点附近に大半の生徒が底だまりしてしまって、成績評価が非常に困難になる。特に思考力を問う良質の問題であればそうなる ー だからマークシート方式では低品質の問題しか出せないという事情は確かにあるだろう。合格者を十分に増やすためには、わずかな違いも得点差に反映するように問題を作っておく方がよい。回答だけではなくプロセスを部分評価する必要がある。だから記述式問題になるのだ。解答までには至っていないが、『ここまで出来ているなら、7割はあげるか、これは・・・まあ3割かな』と、そんなニーズが採点業務、入試業務にはあるのだ。

マア、もっときめ細かく評価するべきではないかというのは確かに説得力がある。マークシート方式なら「まぐれ当たり」が出るでしょうというのはその通りだが、そんなことを言えば、記述式の解答であっても、ある所でおかしなことを書き、別の所で元の正しい筋に戻っているものの、全体としては論旨が破綻しているなど、多分に「運任せ」、「知っていることを並べただけの答案」というのが山のようにある。マークシート方式より記述式の方が真の知力・真の学力を測定できるというのは、あまり採点業務をやった経験のない人が信じがちな思い込みであると思われる。

学力抜群の受験生は、記述式であろうが、マークシート方式だろうが、それが正解のある試験問題である限り、ちゃんと正解に到達して高得点をとるに決まっている。単純なロジックだ。本当は、この最上層の部分を抽出できれば、あとはどんな方式でもよいのではないか。

試験の得点が評価方式によって変わるのは中層以下の受験生である。試験の得点と将来性はそもそもあまり相関はないとみられる。ならば、どんな方法にせよその出題方式がベストである方式などはあるまい。合格者のうち3分の2程度は運がいいから合格する(と言われている)。だとすれば、出題方式にそれほど執着する必要などないのではあるまいか。とすれば、効率的な方式の方が客観的にみて良い方法だ(と個人的には思われる)。

小生は到達点としてこんな風に「入試」なるものをみている。

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だから記述式問題を中心とすることがなぜ試験改革になるのか。小生はよく理解できない。

まあ、国語などは選択肢の中から適切なものを選ぶより、書かせてみるのがよいという人もいるかもしれない。歴史や地理も考えるという作業が最も大事であることはそうだろう。しかし、だから記述式問題を出せということにはならないだろう。設問の構成によっては、誘導式かつ機械式に回答させることもできる。

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マークシートか記述式かの不毛な論争より、改革してほしい問題点はある。

まず答案枚数の確認だ。100人を超える試験室で回収した答案枚数が事前に報告した受験者数と合致しないときは悲惨である。焦ると数えなおすたびに違った数になる。センター試験は、時間的ゆとりが極端に少なく、少しでもマゴマゴしていると、次の受験科目までの休憩時間がなくなってくる。

回収した解答用紙をクリップではさむと、ドンピシャリ、枚数を瞬時に計測できる小道具があれば、何と効率化されることだろう。

このくらい、日本の電機産業の技術力があれば出来るだろうと思う。現在は、試験室と大学ごとの試験本部が総がかりで手で枚数を数えている。

もう人力をあてにした単純作業は改善しませんか、というのが第一点。

第二点は受験者数の数え上げだ。

受験科目は事前に登録するのだが、当日の受験者数が受験予定者数に一致するとは限らない。なので、試験科目ごとに受験状況調査をする。その結果は、東京にある入試センターに連絡するのだが、小生はまず室内の通路を歩き、空席になっている席があれば、その受験番号を欠席とする。そうして室内調査の結果から 「受験予定者総数マイナス欠席者数イコール出席者数」を出す。その後、試験室内の座席を1列ごとに何人の受験生が着席しているかを指で数え上げる。全ての列の合計人数が先に出した受験者数と合致すればよし、合致しなければ再度室内を歩き、欠席者の数に間違いがないかどうかを確かめる。こんなバカバカしいほどの数え上げ業務に各科目で15分ないし20分はかけている。多分、全国のすべての入試センター試験試験室で同じ単純業務が行われているに違いない。

何と不毛な業務形態だろう。

もしスマホのカメラを各列に向ければ、画像解析によって人数を即座に教えてくれるアプリが開発されれば、上の答案枚数測定器具とあいまって、試験監督業務は飛躍的に効率化されるだろう。

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休憩中に同じ試験室で監督をしている同僚たちに話すと、非常に受けて、それより天井にWEBカメラを設置して、上から受験生の動きをモニターできるようにすればあとは人工知能(AI)で不審な動きは検出できますよとか、スマホのアプリなどよりは天井のWEBカメラのほうがずっと正確に人数を数えられるはずだ、と。そんな話も出た。

受験生が写真票に貼っている顔写真をみながら、毎試験科目で写真票照合をするのだが、正面から顔をみてもいないのに正確に照合できているかどうか分かったものではない。それよりは、写真をデジタル化しておき、受験生が正面をみている試験前の段階で顔認証をすればずっと容易だ。群衆の中からテロリストを顔情報から検出できる時代だ。大学入試の本人確認は何と原始的で、非効率なのだろうと感じるばかりだ。

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本当に良いかどうかも曖昧な問題形式変更にエネルギーを投入するより、プラスの効果が明確に期待できる分野に時間と労力とカネを使うべきだと感じる。

ツベコベ不平を言わず、そんな暇があったら、手足を動かして勤勉に働いてください、と。このスピリットが余りに濃厚であるために日本が世界に対して出遅れた分野は数多くあると思うのだが、どうだろう。

何事も長所と短所は表裏一体だ。長所はすなわち短所であり、短所はすなわち長所なのである。手間暇を惜しまないという性癖は、確かに長所である一方、進歩への反対論にもなりうるのだ。

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