2018年1月12日金曜日

「予報屋」はインガな稼業ときたもんだあ~

北海道の厳冬期における願いは吹雪の到来を早めに知りたいということに大体尽きる。

想定外の吹雪は、除雪の遅れ、JRの混乱、高速道路の閉鎖、一般国道の不通、出勤困難など、あらゆる分野で混乱が生じる。

いま暮らしているマンションの管理人は、何かというと『天気予報と違うじゃないか・・・』とぼやく。駐車場の除雪を外部の業者に委託しているので、どのタイミングで除雪車を呼ぶのか、天気予報が頼みなのだ、な。

ともかく北海道では『ほんと、天気予報って当たらないですよネエ』というのは、韓国の人が『ほんと、日本ていうのはトンデモナイ国だよネエ』という反日とたぶん似ていて、その場にいる誰もがうなづける共通の話題なのである。

予報屋なんてインガな稼業である。

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今週は週初めから今冬一番の寒波がやってくると、小生がいま暮らしている道央地域でも暴風雪警報が発令されていた。

しかしながら、事後的には風はビュウビュウと吹き荒れたものの雪の方は大したことはなかった。

テレビやインターネットで確認できる天気予報を視聴していると、リアルタイムといえば印象はよいのだが、ありていに言えば毎日言うことが変わっている。

言うことが変わるのは、昨日には分からなかったことが今日は分かったということなのだが、予報屋さんは決して「こうなるとは分かりませんでした」と口にはしない。

しかし、本当は分からなかったのだと思われる。予報とは可能性の議論であり、どうなりそうかという予測を範囲でしか言えないはずである。一点だけを示す点予測の信頼度など最初からゼロに決まっているのである。

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景気予測も一種の予報である。しかし、景気予測にせよ、株価予測にせよ、たとえば東証日経平均であれば<○○円~△△円>と範囲をつけるのが普通である。しかも数人、数機関の予測範囲を並列して伝えるのが常識になっている。

ところが天気予報は『明日は多分こうなります』と言うことが多い。だから、暮らしている町の狭い区域の住人から見ると『また外れやがった』となることが多い。

大体「北海道では雪が激しくなるでしょう」とよく言うが、苫小牧や白老などでは今でも雪はほとんど積もっていない。北海道は東北地方と関東地方を併せた面積とほぼ同じなのだ。一律には言えないでしょう。

予報を伝える伝え方は科学的に間違いのないものであってほしい。

何と言っても、天気予報はエンターテインメントでもなく、娯楽でもないのだ。

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