2017年12月7日木曜日

断想: NHK受信料合憲判決から

NHKという会社(?)は奇妙な存在であるということは以前にも投稿したことがある。もう5年以上も前のことだ。

放送受信料を強制的に徴収しているが、それは決して租税・公課ではない、つまり対価なのだというところから問題は発生する。

この件について最高裁まで上告されていた事案について昨日判決が出た。

結論は『放送受信料は合憲であり、支払い義務はNHKとの受信契約発効、つまりテレビ設置日に遡る』というものだ。

要するに、契約自由の原則という観点から考えれば、テレビを設置するという行為とNHKの電波から使用価値を受益するという行為は同一の行為ではない以上、NHKの電波を受信するかどうかについては自由意志に基づく交渉の段階がなければならないというロジックが一方の側にある。それに対して、NHKは公共の利益を守るために設立された事業者であり、民間企業ではない。民主的に選ばれた国会で議決された放送法で受信料支払い義務が規定されている以上、テレビ設置者には受信料支払い義務があるのだ、と。最高裁では後者の法理を採択したわけだ。

まあ、道理に沿った判決だと納得できる。契約は自由であるという原理原則の例外としてNHKという事業者は存在していることが改めて確認されたわけである ― とはいえ、ドラマやエンターテインメント性の高いバラエティも、全て公共性を本当にもっているのか?甚だ疑問であると感じられる番組は多いとは思うが。

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判決で気になる部分もある。それは(当のNHKの報道から引用させてもらうのだが)次の部分である。

放送は、憲法21条が規定する表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである。放送法が、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」などとする原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的として制定されたのは、上記のような放送の意義を反映したものにほかならない。

(出所)NHK NEWS WEB, 2017-12-07配信

マスコミがよく使用する「知る権利」については、小生は先日も以下のように述べている。

なので、たとえばメディア・スクラムによって自宅に缶詰め状態になるなどという状態は、憲法違反ではないかと小生は思っている。よく「社会的制裁」と判決文にあるが、「社会的制裁」自体が私刑であり、憲法違反であると思う。「知る権利」などはマスコミによるマスコミのためのマスコミ用語であり、現行憲法には規定されていない蜃気楼のような概念であると思っている。

 最高裁判決が「知る権利」の根拠として挙げている憲法上の根拠は第21条である。これは表現の自由に関する規定である。文言は以下のようだ。

第二十一条 
①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
新聞社は結社の自由で守られ、記事の表現は表現の自由で守られ、検閲によって報道が制限されることはない、という意味で日本国内のマスメディアが上の規定を印籠のごとくかざしているのはよく知られていることだ。

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ただ思うのだが、昨日の最高裁判決でいう「知る権利」 ― 知る権利を21条で直接的に概念規定しているわけではないのだが ― と、先日も小生が投稿したようなマスコミのマスコミによるマスコミのための「知る権利」とは、まったく本質が違っている。内容が違う。

「知る」というのは「真相を知る」ことである。真実であるかどうか分からないことまで、時にはウソかもしれないと思いつつ、更には真っ赤なウソと知りつつ、自由に表現できるのは、国民に知る権利があるからだというのは屁理屈だろう。まあ、ここまでいうと言い過ぎかもしれない。が、「知る権利」というのは極めて限定的に解釈したほうが適切であるように思われるのだ、な。

別の角度からも吟味しよう。

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基本的人権が日本国憲法のコアとなる規定であることは学界でも合意の広さという点からも最も共有されている理念である(と、小生は承知している)。

第十一条 
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
非常に強い規定であることは文言にも表れている。もし報道機関が主張する「知る権利」と、どの個人にもせよ基本的人権として持っている自由とが衝突するなら、当然、基本的人権を優先するべきである。そんな結論になるはずだ。なので、一度、「知る権利」と「基本的人権」が矛盾する事案について誰かがマスメディアを提訴し、法廷で黒白をつけてほしい。小生にはそんな願望がある。

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個人については個人情報保護法が「知る権利」に対する盾になっている。政府については「特定の秘密の保護に関する法律」が平成25年12月13日に制定された。

21条にいう表現の自由とは民主的に選ばれた国会で議決された法律の範囲内で「知る権利」につながるものである。そういうことでもある。

契約自由の原則は大事である。しかし、現に民主的に選ばれた国会で放送法なる制限規定が議決された以上、契約自由の原則もその範囲内で認められる。故に、NHK受信料支払いの義務は契約自由の原則と矛盾しない・・・同じロジックであるようだ。

・・・マア、こんなに簡単に原理原則を制限する法律を合憲であると認めていいのかという問題提起はありうると、個人的には思ったりもするが、論理は論理だ。

確かに論理的である。論理的であるというのは、感情や思い込みが混じらず、普遍性をもつということなので、認めざるを得ないわけだ。

ただ一つのことは言える。国民が個人として持っている基本的人権は、いかなる場合であっても、現行憲法下では国会と言えども侵すことはできない。そう明記している ― もちろん自由に行動して、他人の権利をおかせば処罰されるわけで、それは当たり前。

いずれにせよ、小生が理解する「知る権利」とマスコミが常に主張する「知る権利」と、二つの接点について考えるチャンスになったのは事実である。


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