2017年12月25日月曜日

自治体首長の不祥事を繰り返さない特効薬?

福井県の「あらわ市」というのは不勉強にして知らなかった。その町の市長が誠に恥ずべき破廉恥行為をしたというので騒動が起きているようだ。

その「あらわ市」だが、福井県のどこにあるのかと思って調べると、「なんだ、芦原温泉か」、と。「芦原の名前を残した方がよかったのじゃないか。どこと合併した?金津?「金津」とのバランスをとった名前かな・・・。どうも「民主主義」っていうのも問題だねえ・・・」と。誰もが知っている有名な名前なら残せばいいじゃないかと思ったりしたのだ、な。

それにしても、この市長がTV画面に出てくると情けなく思うのは地元有権者が一番であるに違いない。

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思うのだが、いっそのこと戦前期のように「官選知事」、「官選首長」に戻したらどうだろうか。

戦前期には内務省が人選し中央の官僚を知事として都道府県に派遣していた。都道府県は国の出先機関であったというのはこの側面を指しての事だろう。戦後になって地方自治の観点から地元で選挙を行うようになったのだ。

但し、「官選知事」と言えばいかにも中央集権のように感じられるが、市町村長の方は地元の議会が決めていた(市長は市議会の推薦に基づき内務省が任命)。戦前であっても実質的には自治の側面があったわけである。

さて今日、地方自治の理念はともかく、現実には出来る人がいなくなりつつある。知事であれ、市町村長であれ、国に首長の派遣を要請する選択肢を設けておいてはどうかというのが、本節の主旨である(実際には知事職の場合これに近い状況がすでにあるという指摘もあるが)。

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もともと江戸時代には地方分権の幕藩体制をとっていた。その日本が、明治維新で中央集権体制へ移行した。が、各地方の指導層がすべて東京へ移住したわけではない。元士族、地主層・酒屋など豪商層は地元に居住し、その後の保守政党の支持基盤になっていった。統合を維持するには中央から官僚を派遣し、首長として中央の意思を体現させる必要性があった事情もよくわかる。

それが、戦後になって地方自治の原則が確立された。と同時に農地解放が徹底的に行われた。地方自治が確立されてからは次第に地方が空洞化し、中央集権であった戦前期には各地方に分厚い指導層がいた。皮肉なものである。

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最近は県庁の試験に合格しても辞退率が高いそうだ。小生の地元である北海道では道庁の辞退率が60%に達したという。どこに流れるかといえば、国家公務員もそうだが、それよりは市役所に流れるそうである。近年、市役所、町村役場は人気職場なのである。優秀でやる気のある若年層が市町村に集まりつつある。

これをどう考える?

市町村は行政の最前線である。そもそも住民の収入状況は税務署よりも市町村のほうが細部まで把握しているのだ。情報は昔から市町村にあった。人が情報に追いついてきているのだ。

都道府県庁は何をやるところなのか。

「地元」は市町村であると割り切り、都道府県は戦前期のように「国」の地方機関として割り切る。地元と中央を繋ぐ要として機能させる。案外、この方が効率化されるのではないだろうか。

だとすれば、地方分権を進めるプロセスで節約できるところは多々ある。最近、そんな風に感じることが多い。

市町村に人材は集まりつつあるのだ。地方自治を徹底する上で困らないはずだ。

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地方の首長のレベルダウンは、地方行政の衰退、地方自治の衰退、国力の衰退につながる。

しかし、市町村にやる気のある若年層が集まりつつあるなら、たとえ市長がバカでも捨てたものではない。なまじ「政治主導」とか「トップダウン」などと言わなければよいのだ。

そのためにも「選挙による人選」は再考する余地がある。この点は前にも一度投稿したことがある。

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