2017年10月29日日曜日

文明は戦争で進化する??

戦前期日本の軍国主義を象徴する悪名高い刊行物として「国防の本義と其強化の提唱」(俗称:陸軍パンフレット、陸パン)というのがある。昭和9年(1934年)10月1日に発表され、世間はビックリ仰天した。誰が頼んだわけでもないのに陸軍が国家戦略の基本をマスメディアを通して提唱し始めたのだから吃驚するのは無理もなかった。

その書き出しはこうである。
たたかひは創造の父、文化の母である。試練の個人に於ける、競争の国家に於ける、斉しく夫々の生命の生成発展、文化創造の動機であり刺戟である。
(参考サイト)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455287
(別サイト)http://teikoku.xxxxxxxx.jp/1934_kokubo.htm

満州事変、5.15事件と一部軍人の「決起」に刮目していた世間は、今度は不言実行の寡黙な組織だと見ていた軍部が「国家戦略」を語り始めたことに驚き、マスメディアも軍人集団というこの新参者の「理論」をもてはやした。新しい理論とは、国家的危機(≒存立危機事態)を乗り越えるための「戦略の必要」、「総動員体制の確立」だった。

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中世が終わり、特に15世紀以降、ヨーロッパがその国力において先進国・中国を凌駕するに至ったのは、戦争と内乱を契機にして技術文明、中でも軍事技術がより速やかに発展したことが主因である、と。これはよく指摘される点だ。戦争の敗者になる恐怖を克服しようとすれば、敵国よりも人口を増やし、軍事技術を進化させ、敵国よりも優れた兵器を保有することが欠かせない。そのためには先ず基礎科学の発展を国家として支援し、優秀な人材は身分や家柄、出自を問わず、実力本位で抜擢する。人づくりには大いに金をかけ学校制度を設けて体系的・組織的に育成する。このように、戦争の危機が常に目前にあるなら、負けないための国家戦略が何より重要になるのは事実だろう。これは理解しやすい話だ。

古代中国でも内乱があい続いた春秋戦国時代においてこそ、産業が大いに発展し、その後の漢帝国によるアジア世界制覇の基礎をつくった。日本でも庶民の農業生産技術とその結果である生活水準がもっとも速やかに発展したのは、中央政府の統制が衰えた15世紀から16世紀、いわゆる「戦国時代」であったとされている。

戦争こそ創造と文化をもたらすものであるというのは、確かに真相の一面をついている。

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上の話題に関連して、先日、大学の同僚と以下のような話をした。

小生: 確かに、軍に召集されると、色々な技術は身につきますよね。危険物取扱(笑)の資格も得られるし、大型特殊車両の運転免許も自動的に取得できますしね。この資格は、世間でも役に立ちますよ。 ツブシがききますから。
同僚: 土木技術とか、怪我の応急処置とか、それも出来るようになります。 
小生: 格闘技も身につきますよね。危険な状況から逃げるのでなく、そんなことは止めろと無頼漢にも言えるようになります。
同僚: 何より武器を扱えるようになります。最先端の兵器の構造や操作法を学ぶには、基礎科学の知識が要りますから、頭脳も必要です。数学が苦手とか言ってられません。 
小生: 敵国の言葉も知っている必要がありますヨ。大体は戦争ではなく、戦争の前か戦争の後かで平和である時の方が長いわけですから、その間に相手の発想や考え方を互いに話をしてよくつかんでおくほうがいい。 
同僚: 外国語も自然に身につく、と(笑)。 
小生: そうなんですよ。友人もつくっておけるわけです。だからネ、たとえば江戸幕府ができて17世紀の中頃、将軍が三代目の家光の頃になって、関ヶ原や大坂の陣を経験した人たちは「若い者はなっちゃいない」と。平和ボケしてると。槍一つ満足に使えないと。厳しい交渉もできんと。年寄りは本当に若い世代をバカにしたんですね。 
同僚: それは今の日本もそうですよ。戦争を知らない世代が心配だ。何もできんと。勇気もない。危機感もないと。そんなことをずっと話しています。 
小生: だけどネ、思うんですけどネ、江戸時代の最初の文化の花が咲くのは元禄時代ですよ。戦の世が終わって、戦争を知っている年寄りがみんないなくなった後です。戦争が完全に歴史の彼方に消え去ったあとに文化の花が開き始めた。それも戦いを知っている武士の町じゃありません。江戸ではなくて、商人の中心地であった大阪が舞台です。その後も、徳川250年の平和が続く中、現代にもつながる江戸文化が華やかに展開されたのは文化文政。1800年代の初めです。今に伝わる日本文化はみな戦争とは無縁の、平和から生み出されたものです。
同僚: 戦争は文化の母であるとか、父であるとか、それは違うと。 
小生: ハッキリ違うと思いますねえ。戦争をようやく忘れられる、そんな時代が来て、やっと人は本当の新しい文化を作り始める。そうではないのですかネエ。確かに、古代中国でも戦国時代に軍事技術が進歩した。その軍事技術で漢帝国はアジア社会の覇権を得た。しかし、戦争は戦争でしかありませんよ。残酷です。そこにあるのは死と破壊しかなかったじゃありませんか。戦争が終わって到来した平和な世界で古代中国の文化は花開いたわけでしょう。戦争の傷跡がいえたあと、次の戦争を準備する必要がなくなったとき、人間は文化的活動にエネルギーをさけるのだ、と。そんな風に感じるんですよね。 
同僚: 平和ボケするくらいじゃないと、新しい文化は生まれてこないと・・・そういうわけですか(笑)。 
小生: そう思ったりするんですよネエ。戦争は進歩に必要じゃあないんですよ。社会をオープンにして、ビジネスを自由にして、競争を促進して、誰でも富を得るチャンスを持てるようにする。これを世界の全ての人間に保証してやれば戦争などは必要じゃあないですよ。競争で技術は進歩できます。イノベーションは起こります。実際、イノベーションは平和な世界でも起こっているでしょ?それを国境で壁をつくる。難民規制だ、社会保障だ、守ることばかりを考えるから、壁の外側の人は暴力で侵略する。相手を破壊することによって自己の安全をはかる。そんな誘因を相手に与えるだけです。そうなんじゃないでしょうかネエ・・・。
同僚: 創造的破壊は戦争の代わりに世界を進歩させる・・・なるほどねえ。 
小生: 自由競争、自由貿易と戦争を比べるなんて無理筋かもしれませんけどネ(笑)、そんな風に思いません? 

北朝鮮危機を材料にして、政治を展開することは、新しい時代を切り開く政治戦略では決してあり得ない。ひょっとすると、選択可能なより良い世界へ至る道を閉ざすだけの愚策であるかもしれない。この点だけは頭に入れておかなければなるまい。

戦争の危機は創造の父、文化の母などではないのだと思う。

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