2017年10月23日月曜日

まとめ: 選挙のあとに

衆院選2017の結果は、各社の世論調査や事前予測をほぼなぞるようであったので、実際の開票結果は予測の確認といったような塩梅だった。投票率が53.7%というのは関係ない。投票率が仮に95%であったとしても結果に大差はなかったであろう。基礎的な統計学でわかることだ。

やはり与党の圧勝、希望の党の自滅につきる。

これまでの投稿から抜粋するだけでも、総括としては十分なような気がする。

一つは9月29日付けの投稿から以下の下り。
マスメディア各社は面白いものだから<これで政権選択選挙>になったと力説している(もはや解説ではなく、まして報道ではない)。
見ようによっては確かにそうだが、それよりは今度の選挙は<イメージ*ムード vs ファンダメンタルズ>のどちらがより確実な勝因でありうるのか。こうとらえる方が正確だと思って見ている。
やはり選挙の勝敗は経済や外交など各面のファンダメンタルズが最も決め手になることが再確認できたと。そう結論づけている。

北朝鮮、中国ファクターもそうだが、景気、雇用状況、株価動向、物価動向、対米関係、対アジア関係、対露関係等々、どれをみても政権交代を望むような情勢はなかった。森友騒動、加計学園問題が、選挙期間中に結局は大きな論点として議論が広がることがなかったのは、国民の目がゆがんでいるのではなく、それが現実のリアリティそのものであるからだ。実際、与党が大勝したあとの本日、日経平均株価は岩戸景気時の14連騰を57年振りに更新する15連騰となった。安心感である。このような情況では野党が与党に勝てる理屈は基本的にはないのだ、な。というか、こんな情勢の中で与党を追い詰めようとしても、いざ選挙となると、うまく行くには余程の事情がいる。余程の事情があれば、まずは内閣不信任案が通るはずだ。不信任でなく、経済社会が好転しているなら、普通は野党の負けだ。

もしも民進党の左から右まで全てを小池代表が受け入れて、共産党とも協力して、日本新党ブームの再来を目指したとすればどうだったろうか?小生思うに、それでもダメだったと推量する。そもそも統一的政策提言がない以上、野合批判には耐えられないのだ。日本新党が成功した要素として、小沢一郎の『日本改造計画』があり、その小沢本人がバブル崩壊後の日本の政治で様々な仕掛けを進めていたことを忘れてはならない。民主党が政権を奪った時も、前年秋のリーマン危機で経済が混乱していた背景もあるが、同時に民主党の「マニフェスト」に対して、また民主党に所属する議員達に対して、国民が鮮烈な魅力を感じたことも勝利をもたらす主因となっていた。

一言で言えば、今回の与党大勝は民進党が自ら蒔いたタネによるものであった。マイナーな森友・加計問題であっても、内閣支持率に執拗な打撃を与え続ける蓮舫・野田執行部の戦術はそれなりの効果をあげていた。少し見っともない戦術(加えて、それなりに負の副作用もある戦術)であったにしてもだ。6月15日未明の通常国会では内閣不信任案の動議を提出してもいる ー もちろん与党によって否決されている。民進党は既に戦闘モードをとっており、自民党は受けて立つ政局として認識していた。一部のマスメディアも反政権闘争を展開中であったことはまだ記憶も新しい。民進党はそのまま不動の体制を維持すれば、安倍政権はジリ貧だったであろう。安倍政権がその危険を回避するため、いつか好機があれば早期に衆議院を解散して、信を国民に直接問いたいと考えたのは周知のことであり、小生が暮らしている北海道にも早期解散の可能性は伝わっていた。

その民進党の体制が都議選の敗退の責任をとるという理由で覆ってしまった。自壊した。そこに隙と混乱が生じた。安倍政権は当然の選択をした。そもそも、好機がくれば解散というのは政権の基本戦略であり、民進党はそれを熟知していたはずだ。それを民進党は自らが最も不利な状態でさせた。まさに「敗北の方程式」である。勝負はここで決まっていたのである。要するに、そういう事であった。前原・小池会談は、つじつま合わせで瓢箪から出たコマに過ぎない。後始末の茶番劇である。

リアリティを無視して、シナリオだけを書いても、うまく行くはずはなかったのである。

さて、もう一つは10月2日付けから。
頭をつかって、風をみて、一日中動き回ったり、雲隠れしたりしているが、肝心の結果が出てこない。忙しいわりには効率が悪い。キョロキョロしている割には、結果的には迷い道にばかり入りこんでノロマである。だからキョロマ。語源はこんなところだろう。
キョロマ達が時代の風にあおられて走り回っても、目立つことは目立つが、それは輝くとは言わないだろう。不動の定位置にあって光を放つのでなければ、「輝く」という動詞は使えない。
今回の「希望の党」と「民進党」の合流騒動を通して、頭が一番いい人は誰であったか。それは女性ではない。やはり民進党の前原代表が一番頭がいい。小池さんは他人がやるべき汚れ役を代わりに引き受けた分、人がよくて頭がわるい。ただ悪いはマイナス、いいはプラスとならないところが、人間評価の面白いところだ。
世間では希望の党の小池百合子代表が、不評を通り越していまや嫌悪の対象にすらなった印象で落ちも落ちたりという感が拭えないが、そもそも上に引用したように、小池代表がやろうとしたことは、前原民進党代表が自らの手を汚してやらなければならなかった事である。前原代表をすら使い捨てにしなかったところに小池代表の甘さがあったといえば言えるだろう。かつ、そこに小池女史が政治家として内に秘めていなければならない老獪さ、狡猾さがいま一つであることの証明をも見てとれるだろう。そもそも同女史が政治家として築いてきた実績はそう大きくはない。同女史がもっている政治家としての真の力量はそれほど高くはないということはこの点からも明らかだったはずだ。

本当は冷静にそう見ておくべきだったのではないだろうか。「小池劇場」のプロデューサーは、ご本人というより、視聴率が欲しかった(と同時にアンチ安倍闘争を盛り上げたかった)マスメディア大手企業である。そうみれば、小池百合子といえども、マスコミに使い捨てられようとしている<政治女優>の一人に過ぎない。

◇ ◇ ◇

ま、今回の与党大勝は民進党の(敢えて希望の党とは書かない)オウンゴールである。しかし、オウンゴールで試合の決着がつくというケースは確かにあるのである。

今回の選挙が多分に偶発的なものであったにせよ、これが結果であることに変わりはなく、これから新たな情況で決められて行く政治的決定が、日本の将来を決める現実そのものとなる。マスコミは政治ドラマをプロデュースしているつもりであったろうが、実際に起こることはドラマではない。

曲がり角を何気なく曲がったら、そこが迷い道であったことにならなければ幸いだと思っている。

小生自身は、前にも投稿したとおり、一地方紙や小規模な専門家集団が発表する小雑誌ならまだしも、巨大なマスコミ企業が暗黙に一つの政治的立場をとりながら政治に大きな影響力を行使することには全て反対である。そもそもマスメディア大手企業は個人企業ではなく営利法人であるが、法人には参政権はなく、投票権もない。そのような法人が発表する政見は、具体的にどのような人間集団の意見を代表しているのか、ある人間集団を代表しているのか、特定人物の主義を伝えているのか、外国人を代表しているのか、他の企業の代行をしているのか、外からはまったく分からないからである。このような主体が、国民に広く影響を及ぼすという形で実質的に参政権を行使している状況は、まったく不適切だと思っている。

【10月24日加筆】
立憲民主党・希望の党・無所属を合計した旧民進党系候補者の当選者は公示前議席を上回ったとの報道だ。これまた<瓢箪から出たコマ>が回りまわった末の<もっけの幸い>であった。立憲民主党に吹いた追い風の強さがいかに強かったかがわかる。今回の選挙で風を起こしたのは、老いたお局・小池百合子ではなく若年寄・枝野幸男であったということだ。そしてその風は、電波に乗せる映像と言葉ではなく、とった行動の勇敢さに吹いた。これまた疑いのないことだ。
まさに文字通り
巧言令色すくないかな仁(論語・学而)
いい言葉だ。

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