2017年10月16日月曜日

一言メモ: これは本当に公選法違反にはならないのか?

2年ほど前に作った読書用メガネをなくしてしまった。ずっと昔の単焦点メガネはあるが、度が合っていないせいか、かけていると頭が痛くなる。「そろそろPCを使った統計分析実習は限界か」と感じてきたが、来年2月迄はやらなければならない。そんな事情で今日は隣町のS市にあるビックカメラまで出かけ、近くのテキストが読みやすい眼鏡を作ってきた。節約路線である。

選挙期間中というので駅構内のテレビでも選挙テーマのワイドショーを流している。と、KIOSKをみるとこんな広告がある。


余りの露骨さに呆れたので、帰宅してからネットの「週刊文春WEB」(本日現在)からコピーしたものである。

これは「希望の党」という政党の代表を誹謗している以上、特定政党に対するあからさまなネガティブ・キャンペーンである。発売は12日だから公示日より後である。

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個人としてブログを投稿している小生ですら、選挙公示日の10月10日以降は特定の候補を貶める、あるいは逆に特定の候補をもちあげるような文章を書くのは、なんとなく気が引けて遠慮している。一般有権者の中のたった一人でも、やっぱりネ、そんな感覚だ。もちろん一般有権者はブログやツイッターで特定候補者を応援することができる。落選運動も可である ー 但し、メールによる依頼は駄目だとされている(参考資料はここ)。

いま疑問に思っているのは、個人による落選運動は可能なのだから、法人であるマスメディア大手にも可能であるという法理はあるのかという点だ。

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市場において、消費者は商品を売っている商店主に対して売値を値切ることは自由にやってよい。むしろ対等の立場にある経済主体が競争し、かつ交渉しあうことで全体としてはより善い結果がもたらされるものである。しかし、大企業が中小零細企業に対して、同じ値引き交渉をすれば「独占的支配力の行使」、「優越的地位による交渉力の濫用」と判定されることが多い。だからこそ、独占禁止法がある。経済活動には過大な影響力が行使されないよう規制しているのだ。

同じ問題意識は、世論形成における影響力の大小にも向けられなければならないと思うのだが、どうだろうか。経済プロセスだけではなく、政治プロセスでも、個々人の集合体である国民の政治的意思が、少数者の影響を受けることなく、選挙結果に反映されることが重要になる。そのための環境作りは放っておいてもできるものではない。だからこそ公職選挙法がある。

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選挙期間中に新たな事実/功績/スキャンダルが明らかになるなら、報道としての価値もマアあるのだろう ― それが報道に値するという判断が少数の編集部幹部によって行われるのはやはり不適切だと思うが。しかし、上の週刊文春の批判記事はざっとみて、古い話ばかりであり、あえてこの時機に出版するのは何か同社が政治的意図をもっているからではないかとすら感じる。

そもそも営利法人である出版社に投票権はないのだ。ない以上、選挙という社会活動に参入し、選挙結果を左右する影響力を行使してはならないと思うのだがどうだろう。

というのは、有権者である個々人は投票権を持っていることを判定可能であるが、法人はそもそも国内で法人格を有しているだけの擬制的存在であって、その法人が有権者のある集合を代表しているのか、投票権を有しない外国人の意志を代行しているのか、まったく分からないからである。後者の可能性が理論的にもせよ否定できないのであるから、投票権がない営利法人が結果を左右するかもしれない政治的意見を公開することは、不適切だと小生は思うがどうだろうか。

営利法人である出版社が特定の政党を批判したり、支持したりする活動を是認するなら、たとえば経団連(→自民党を支持しているはずだ)が自民党を支持するコマーシャルを流したり、医師会(→やはり自民党だろう)やその他業界団体が同じことをするのもOK、全国の商工会議所(→ここもまず自民党だろう)が特定の政党を支持するコマーシャルをテレビで流すのもOK、その他の株式会社が特定の政党を支持するCMを流すのも、印刷物をホームページに掲載するのもOKになるのではないか。

しかし、上に挙げたどの団体も個人ではない。投票権は持たない。投票権を持たない法人が選挙に影響するかもしれない意見をあえて述べる動機はない、というか持ってはならない理屈だと思うがいかに。出版社についてもまた同様なロジックがあてはまる。





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