2017年7月20日木曜日

一言メモ: 議院内閣制の下の国会議員と官僚(=部下?)

またまた稲田防衛大臣の失態がメディアを賑わせている。「戦闘」という二文字が記載された日報を隠蔽するという決定を大臣が了承していたか、了承はしていなかったか、という点でまたまた報道と否定の水掛け論になっている。

ホント、今年はこういう「水かけ論」があまりにも多い。

「水掛け論」にならざるを得ない段階で一般読者・視聴者に報道してしまうメディア各社にも大いに責任があると思われるのだが、これは別として、いまは以下の一言メモ。

本ブログで最近まで立ってきた観点とは別の方向からみたときの「見え方」である。これまた「水掛け論」になるかも。

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行政府を構成する中央官庁のトップの多くは国会議員である。特に、その人事を司る総理大臣は国会が指名する。つまり、日本の統治形態は議院内閣制であるわけで、これは小学校から勉強する基本である。

立法府が行政府をしきるという議院内閣制で国会議員が行政府に入ってくるのは、当然の人的配置であるわけだが、議員はあくまでも国民が選出し立法府に雇用された公務員である。他方、行政府に雇用され、実働部隊となっているのは官僚であるー自衛官も定義上は官僚である。官僚とは行政府を構成する人的資源である。

戦前期には行政府が立法府、司法府に優越し(だからこそ軍部が独走できた)、戦後は立法府が「国権の最高機関」となっているが、戦前も戦後も原理としては三権分立制をとってきた。

つまり行政府に雇用されている人材は、立法府に雇用されている議員(及び職員等)の部下ではない。民間企業にはオーナーがいるが、国会議員も官僚もオーナーではない。どちらも国の使用人である。

官僚は試験に合格し、議員は選挙で当選して採用される。選抜方式が違うが、この違いは主として必要とされる能力や職務への適性の違いを反映するものだ。上級官僚を選挙で選んでも良いし、一部の国会議員を試験や推薦で選んでも良い。実際、戦前期には勅選議員がいた。採用区分の違いは選抜コスト最小化・公益最大化の論理によるもので、それぞれの方式自体に尊重するべき価値はない − ある日の選挙でより多くの票を獲得するということと、ある日の筆記試験でより多くの得点を獲得することと、どちらがより多くの努力を必要とし、どちらがより尊重されるべきかという問題に正解はおそらくないだろうと思うのだ、な。

事務次官以下の官僚集団が閣僚の部下である形になっているのは、(主に)国会議員が中央官庁に「出向して」上司の椅子に座るからである。民間出身者が同じ椅子に座るのと本質は変わるところはない。

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仮にだが、大臣に「政治家としての傷」をつけないために、事務当局のトップが責任をとって辞めるという形がとられるとすれば、議院内閣制、というか維新以来の三権分立の原則に反するだろう。

国民の多数派を代表する国会が内閣を構成し、内閣が行政府を指導するのが原理ではあるが、「非合理な行為」(≒国民に説明できない理由による行為)によって議員が行政府の資源を毀損するとすれば、憲法が国会に与えている権利を超えていると言うべきだ。

問題は、行政府を指導するべき「内閣の失敗」をどの機関がいかにして認定するかだ。社会システムの失敗には、「市場の失敗」、「官僚の失敗(=行政府の失敗)」、「国会の失敗(=選出制度の失敗?)」などが挙げられ、それぞれ日本は経験済みであり、曲がりにも失敗の可能性が認知され、対応策がとられてきた。しかし「内閣の失敗」はまだ議論されたことがないのではないか。

専門分野ではないが、このような問題については法学者の議論の積み重ねが既にあるのだろう。あとで勉強することにして、いまはここにメモを書いておく次第。

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