2017年6月26日月曜日

実にみみっちいトラブルだったのが真相? 加計学園問題

文科省の前次官がインタビューに応じる機会が増えてきて、段々と(文科省からみて)何が問題のコアだったのか、その辺が不勉強の小生にも「理解」できてきた。ということは、これまでは問題の核心がサッパリ分からなかったというのが正直な所でもある。

要するに

  1. 文科省は規制緩和に反対している抵抗勢力ではないのだ。大学新設についてもそうだ。
  2. 獣医学部の新設は門前払いしてきた。それは獣医の需要見通しがないからだった。
  3. この現状で新設を認めるなら認めるのもいいが、なぜ1校なのか。京都産業大学も新設を希望していた。
  4. 1校だけと条件をつけるにしても、なぜその1校は総理と親しい人が経営している方なのか?不透明である。
  5. 規制緩和の名を借りて、官邸と親しい人が得をしているとみられても仕方がない。
筋が通っているではないか。これなら誰でもわかる理屈だ。そう思った。それならそうと、なぜそれを在職中に言わなかったか。大学新設の従来の理念を所管官庁としてなぜ正面から堂々と語らなかったのか。どうせ事務次官は長くて1年。すぐ辞めるのだから言えるでしょう、と。そんな疑問が残るにしても、だ。

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獣医学部については、文部省告示により全ての新設を門前払いしてきた。その告示を撤廃させて、新設を自由化するのが、獣医学部の規制緩和としては本筋だった。そういう攻め方をしなかったのは内閣府の側のようであり、内閣府の方から『1校だけ認める』という結論にしたのだった。

前次官の話し、内閣府の説明を聴いていると、これまでは1校に限定した理由として日本獣医師会がうるさくて文科省が抵抗していたからという点が挙げられていたが、当の獣医師会は公式にそのような要望を出したことはないと言っているところを考慮すると(追記 6/27 そうそう、要望書は確かに出ていて、1校に限ると公的に明記せよと記されているのだが)、どうも内閣府の方から「政治的配慮を加えて」1校にした、と。どうやらそういうことであったようでもある。だとすると、内閣府は余計な「忖度」をしたというのが真相かもしれないのだなあ。

獣医学部新設は、従来の方針をくつがえして自由化します、と。そうすれば透明であったのだが、その路線は内閣府はとらず、1校だけの限定許可とした。だとすれば、獣医師会と関係の深い菅官房長官や麻生財務相に遠慮したのだろうか。そんな憶測もありうるのだな。

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まあ、とにかく2校新設にすればいいのを1校だけ認めますか。話はそんな実にみみっちい話であって、文字通り「お話にならない」。これが加計学園にまつわる大騒動の真相であったかもしれない。バカバカしいこと、限りなし。

何が岩盤規制に穴をあけるじゃ!!

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考えてみれば、文科省はあれほど多数のロースクール新設を敢然と認めて、『今後は事前審査ではなく事後評価で高等教育行政を進めていきます』と大見えをきったのだ。あの時も弁護士需要の数字はあったが、大体、そんな見通しなど当たらないことは誰でも知っている。結論ありきで数字は作られるのが経験的事実だ。

実際、弁護士は過剰となり、ロースクールは当初の半数にまで減った。それでも自由化した文科省は社会からそれほど酷く非難されているわけではない。責任を追及されているわけではない。設置自由化は理念として正しい。多数の人はそう考えている証拠だ。

その文科省が獣医学部の1校や2校の新設で本気で抵抗するか??

まあ、告示を撤廃しないまま新設を認めるのは、確かに規制に穴をあけることでもあり、内閣府のお手柄ということになる。

分からないのは、需要見通しがないのに新設は認められないという文科省の言い分だ。確かに、ロースクールの時は「見通しなど当てにならない」と熟知してはいたが、数字はあった。今度はその見通しがなかった。

しかしながら、だ。需要見通しが本当になく、大学経営の見通しも立たないなら、なぜ私立大学を新設しようという人がいるのか?

変である。

仮に、獣医師需要増加の見通しがないとしても、大学新設には意味がある。新設を認めれば新たに参入した大学が、顧客(=入学希望者)を既存の大学から奪取せざるを得ない。その中で、競争メカニズムが働くはずだ。理屈でいえば、最も劣悪な教育をしている獣医学部が退出を余儀なくされ、優れた大学は残る。

どの産業分野でもそうだが、潜在的参入企業があることが、技術進歩と品質向上をもたらすことは経済理論だけではなく、経験から確認されてきた事実だ。

このように考えると、獣医学部新設に関する文科省の姿勢は、既存の獣医学部の利益を保護するだけで、獣医師教育の進歩を重視してこなかった。このような批判から免れることはできない。

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この件で展開された内閣府と文科省との論争(=議事録に詳細に記録されているとのことだ、小生はそこまで調べたことはないが)でも主たる論点となった「規制が必要である挙証責任」は、やはり規制をしている当の官庁である文科省にあった。そう考えるのが筋であり、内閣府があえて告示撤廃を迫らなかったのか、内閣府が求めても文科省が規制にこだわったのか、そこは明らかではないが、新設容認の線で事実上決着した後も、なんら手を打たなかった文科省はやはり行政機関として支離滅裂であった、と。このくらいは言えそうである。

どちらにしても、まあ、たとえば「司法改革」のような「改革」にはまったく当たらず、話の内容は実に細かい、どうでもいいような話し。それが「加計学園騒動」の実態であった。文科省前次官の話を聞いていて感じたことだ。

もし(万が一)この実態に民進党など野党は本当は気が付いていて、それでも政権を攻撃できるイイ材料があったと、あれ程までに加計学園問題に審議時間を消費したのだとすれば、かなり(という形容詞では不十分なほど)無責任である。やはり誰か黒幕に「使われていたか」と、そんな疑念が高まるのだな・・・。



ま、それよりは、いま世間の話題をさらっている二人の女性。小林麻央と豊田真由子(実名を出してもまったく問題はないでしょう)。片や100点満点、片や0点。二人とも人にいつも見られているいわば「公人」といえ、片や歌舞伎役者の妻である町の人、片や官僚から国会議員になった東大法学部卒の(というのは余計だが)超エリート。片や人を感動させており、片や人を唖然とさせている。片や将来のレジェンド、片や将来の「しくじり先生」の最有力出演候補。一方の女性はもう話を聞くことができず、一方は聞きたくなくとも聞かされそうだ。あらゆる意味で誠に対照的な二人の女性であり、こちらの方が、色々な事を考えさせられる。が、この話題はまた後日にしよう。




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