2017年5月24日水曜日

ほんのメモ: 未来の「皇族」、というか「皇位継承問題」

こんなことを書けば、戦前期なら不敬罪になるだろう。

が、ミーハー的興味は抑えがたく昨日もカミさんとこんな話をした。

「女性宮家、日本会議っていう極右系の団体があるんだけど、猛反対しているらしいね・・・」
「真子様や愛子内親王は結婚後に皇族にはしないってこと?」
「そうだろうね。というか、娘だけじゃなくて、娘の息子も女系だからダメって理屈だね」
「でもさあ、もしもだよ、悠仁親王が天皇か皇太子になってさあ、娘しか生まれない可能性はあるよね、その時に愛子さんに息子が生まれたらどうなるの?」
「愛子さんは、その時は民間人だから、その息子も皇族じゃない。そうなるね」
「でも悠仁様の娘は後を継げないよね」
「男子がいなくなったら、敗戦時に連合軍から追放(?)された旧皇族を迎えたらいい。そんな考え方なんだろうね」
「娘の息子がいるのに、そんな遠縁の人が跡継ぎになるの?」
「確かに誰も納得しないかもね。だから、そうなる前にルールを作っておくのが大事なんじゃない?」

もし内親王が結婚後も皇族であるとして、宮家をつくるとすれば「▲▲殿下」と呼ばれるのだろう。その時は、夫の民間人も「▲▲殿下」になるのだろうか?う~む、それは難しいだろうなあ。殿下であるのは夫人の方で、旦那はそうではないからだ。これまでは殿下は全て宮家の当主である夫の方であり、その妻は「▲▲宮妃殿下」と呼んでいればよかった。逆のケースをどうするかだ。イギリスではエジンバラ公という呼び名があり、その名前も「公」という実質を伴っているからいいのだが、日本ではそれもできないだろう。ただまあ、先日の道新のコラム記事によれば(それも経済学者の宇沢弘文先生のケンブリッジ時代の思い出を引用して、という話だが)、ケ大の大食堂で食事前の乾杯を女王陛下に捧げるとき、たとえご夫妻臨席の場合であっても、夫君のエジンバラ公には捧げなかったという。隣の同僚にその理由を聞いたら「子孫を残すためだけの男に誰も忠誠心など持たないヨ」と言われたとのこと。それで宇沢先生はケンブリッジに長くいるつもりがなくなったという話だ。そんな話もあるから、この問題は微妙で難しい。

5代将軍・徳川綱吉は、娘・鶴姫の婿である紀州藩主・徳川綱教に後を継がせようとした。娘の息子どころか、単なる娘婿である。実の兄の息子、つまり甥の綱豊がいるにもかかわらずである。これに「筋が通らぬ」と反対したのが徳川光圀である。しかし、水戸黄門・光圀も、後継者が娘婿ではなく、娘の息子であったら強硬に反対できただろうか。

いやはや、下世話な話でござる・・・。

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