2017年3月4日土曜日

豊洲問題: 石原元都知事は無責任なのか?

『群盲、象をなず』という格言がある。

なでるのは巨大な物体である必要はない。非常に長期間にわたるプロジェクトでもよいわけだ。多数の人間が組織的に関係し、どの一人も最初から最後までモニターすることができない。そんな場合も全体を一望した人は誰もいない。

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昨日、石原元都知事の会見があったが、概して評判はよくない。要するに、築地移転は安全性の観点から緊急性を要する課題であり、豊洲移転は着任時には既定路線であったという。自分は最高責任者として部下を信じ印鑑を押した。要するにそんな骨子である。

この点は今朝の報道でも同じだ。
 「すべて任せていた」――。豊洲市場の移転をめぐる問題で3日に記者会見した元東京都知事、石原慎太郎氏は、重要な政策判断を部下や専門家の判断にほぼ委ねていたと強調した。小池百合子知事は「人の責任というのは簡単」として、石原氏の姿勢を疑問視。土壌汚染のある豊洲になぜ移転を決めたのか、真相解明は都議会百条委員会に持ち越された。
(出所)日本経済新聞、2017年3月4日

話しはまったく変わるが、「天皇機関説事件」というのが戦前期・日本においてあった。昭和10(1935)年のことだ。

日本の統治システムにおける天皇の地位は憲法(大日本帝国憲法)の規定によるものであり、その意味では「天皇」という地位は国家を構成する一つの機関である。俗な言葉で言えば「組織の中のコマの一つである」と、こう見るのが天皇機関説であり、明治から大正までを通して、日本の指導層の中で半ば常識とされていた。ところが、昭和初期、自党の利益を狙う政略から開始された国体明徴運動が世論をひきつけ、その流れの中で天皇陛下を「機関」であると考えるのは「不敬」である、と。天皇は神聖かつ絶対的であるという日本の「国体」と矛盾する。そんな非難の的となり、当時の憲法学の権威である美濃部達吉博士はこれにより社会的地位を失うに至った。これが天皇機関説事件であり、その後の軍国主義への一里塚となった。

時代は変わり、戦後になって天皇機関説が名誉を回復し、現在でも天皇の地位は日本国憲法で規定されているとおりであることはいうまでもない。

国家、中央政府ばかりではなく地方政府においても、トップの権限は法の規定によるというのは一貫した考え方である。

「知事」と言えば都道府県の行政における最高責任者ではあるが、自分自身の意見がそのまま実現できるはずはなく、全ては適法に、手続きに沿って進められなければならない。議会の承認も不可欠である。行政は100%すべて組織的に進められるのである。石原元都知事はつまりはこういう趣旨のことを言ったに過ぎない。

日本の政治体制を前提すれば、この認識はその通りである。「任せていた」という言い方は、それ自体としてはそれほど大きな間違いではなく、現都知事が「人の責任というのは簡単」と、人ごとのように批評するのは論理的でない。そういう問題ではないのだ ー まあ、「すべて任せていた」というのは言い過ぎで、知事に求められる権限・水準において確認するべき点を確認した、と。この点のみがポイントである。

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結果として豊洲移転の安全性について疑問符がつき(この問題に点火したのは正に現都知事なのであるが)、現在の混迷に至っているのであるが、こうした「失敗」はまず全てがと言ってもよいと思うが、トップの失敗であるより、組織の失敗である。

築地市場移転プロジェクトは非常に長期にわたる懸案であって、関与した担当者はトップから末端まで含めて非常に多人数になる。「基本設計」、「基本方針」ですら、一人の人間の意思決定で決めたものではないに違いない。

これは何も無責任体制の温床ではない。非常に多数の関係者が四方八方から検証することの最終的な結果として、組織的に実行していくのが、行政というか巨大システムを運営管理する最善の方式である。これがビューロクラシー(≒近代官僚主義)のエッセンスであるからだ。故に、たとえそれが「宣戦布告」の意思決定であっても「誰が決定した」という「誰が」というのは常に曖昧であり、わかるのは「その時の決定権者」が誰であったかだけである。その決定権者は組織の長であるのだが、しかし、そのトップが能動的に決定を下したのかときけば、それは必ずしもそうではない、というのがほぼ全てのケースである。

このような組織管理方式は、なにも日本的意思決定に固有の問題ではない。統治システムが複雑に高度化した先進国であれば共通している特徴だ。ベトナム戦争の泥沼にはまった責任者はケネディ大統領であったか、ジョンソン大統領であったか、国防長官あるいは国務長官であったのか、それとも現地前線の総司令官に責任があったのか・・・。もし「責任者」が特定できるのであれば特定されているはずであり、何もハルバースタムが名著"The Best and The Brightest"を著すまでもなかった。2009年にゼネラル・モーターズ(GM)が倒産したが、誰がその「責任」を負うべきか?責任者を指折り数えれば、小生思うに数百人に上るでありましょう。まだある。BPのメキシコ湾原油流出事故(2010年)、VWのディーゼル排ガス不正事件(2015年)、これらは一体誰の責任であったのか、誰かの責任であったのは間違いないが、つまるところ非常に多人数の人間が少しずつ分担して責任を有していた。言えるのはそれだけである。「明確な責任の所在」などというよく聞くフレーズは一般公衆に向けた精神安定剤以上のものではない、というのが現実だろう。

今回の問題の本質は「組織戦略」にある。更に言えば組織は戦略に従う以上、とられていた戦略、さらにそれ以前の「目的」に不適切な点があった。「何をしたかったのか」。トップが影響力を行使できるとすれば、この「目的設定」という段階である。ここを見ないと問題の解は見つからないだろう。いわば学問の本道に沿って考察するしか、この種の「失敗」から有益なメッセージを引き出す方法はないと思っている。

巨大な失敗は、ぶら下がり取材や記者会見、議会の百条委員会等々で的確に把握し、評価できるような甘いテーマではなく、それこそ上下二巻を超えるような著作物になるべきものだ。登場する人物、証言する人物も千人を超えよう。

今後期待されるのは、こうした真摯な情報収集、整理、執筆作業であるのは確かだ。が、これは日常業務に忙殺されている公務員が担当することではなく、またそんな立場にあるわけでもない。それこそ日本のジャーナリストの力量が問われている主題であると思うのだ、な。

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こう考えると、小池・現都知事のやるべきことは見えてくるではないか。

築地市場と豊洲新市場とどちらが安全であり、どちらが危険であるのか。そして、市場移転問題は明らかに行政上の問題であるから、どんな解決策を示すのか。

この一点である。というか、こういう基本的事項については既存資料があるはずであるし、なければ奇妙である。

『豊洲は危ない』と火をつけたのは現都知事である以上、それが適切な判断であったという証明もまた現都知事の責任の範囲内にあると小生は思うがどうだろうか。

行政プロセスにおいて生じてしまった「巨大な失敗」について分析する仕事は事故調査に似ているともいえ、どう繕おうが所詮は"Post Mortem Examination"である。

そこから得るべき知見を文書化する仕事は、都庁・知事部局から切り離し、外部に調査委員会を設け、複数の第三者的専門家がまとめるべき事柄である。もちろん、公式に編集される(かもしれない)文書のほかに、有能なジャーナリストがより掘り下げた有益な著作物を執筆するかもしれないし、またそうあるべきだ。

現職の職務は課題解決にある。その課題は行政の現実から与えられるものだ。自分自身に有利な流れをつくるために適した問題を課題とするべきではない。いずれにせよ、政治家は自らの意思で立候補したのであり、当選のあと直面する課題はそれが何であっても、自分自身の課題として誠実に取り組むべきだ。これこそ真の「不惜身命」、「任重くして道遠し、仁を以って我が任となす又重からずや、死してのち已む又遠からずや」ではないか。

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ただ、なんでこうなったんヤ、と。憤懣やることなき有権者もいるのだろう。不正な談合があったのではないか。少数のグループが甘い汁を吸っていたのではないか…、そんな疑惑だ。

それは小生も同感だが、他方、経験から得られる統計的傾向も無視できまい。つまり、誰もが感じる「疑惑」があるときに、その疑惑を調査して、疑惑が事実であったと証明された「疑獄事件」がこれまでいくつあったろうか。ほとんどは空振りであったというのが小生の経験的印象である。

真の疑獄事件は、多数の人たちが感じるような疑惑などは全くない、そんな安全地帯の裏に隠れているものだ、と。これが従来の経験から得られる印象なのだ。

疑惑の証明は、長時間の情報の収集、整理を通した地道な作業から初めて可能であり、それこそハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライティスト』を執筆したのと同等(もしくはそれ以上の)のエネルギーを投入しなければならない作業だと思うのだ、な。それに適合した調査(ないし捜査?)組織がある以上、その組織に委ねるべきだ。政治≠捜査、政治家≠捜査主任が原則であるのは当たり前だ。

「ちょっと聴いてみなければいけませんね』くらいの乗りで実行できる事柄は本当は多くはないのである。真の無責任はこんな姿勢の方である。



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