2017年3月13日月曜日

古い慣習の効用?

ちょっとした手術で入院することになった。それで提出する書類に記入をしたのだが、そこには色々な質問事項が並んでいる。

まずは医療費の負担責任者と保証人。これは(当然だが)小生本人が責任者で、愚息の一人を保証人にした。愚息の名を小生の必要から何かに使ったのは、実は今回が初めてだ。まあ、それだけ歳月がたったわけだ。今後はこういうことが増えることだろう。

「身の回りをする人」。これはカミさんにお願いしよう・・・

「家族構成について」。フムフム。同居する家族。これは今はもうカミさん一人しかいない、と。次に・・・別居する家族。ウン?二人の愚息は既に独立して別居している。「生計」をともにはしていない。つまり愚息といえども「別世帯」である。その場合、二人の愚息は「家族」の範疇に入るのか?ここでいう「家族」の定義とは何なのだ。この書類には「家族」の定義は記されていない・・・。

しばらく考えてから分かった。同じ「戸籍」に属している者は同じ「家族」である、と。『そうか!これは戸籍上の確認を問うておるのじゃな』と悟った次第。それならそうと、きちんと定義を書くべきなのにネエ。となると、福島県に居住する弟一家は小生の家族ではなく、生計は独立して暮らしているがまだ小生の戸籍にいる愚息二人は小生の家族となる。まさに明解で誤判定の余地はない。

ただ、何のために上の質問をしているのかという理由は不明のままであった。というのは、緊急時の連絡先として第1連絡先から第3連絡先まで別に質問しているからだ。

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とはいえ、

もし戸籍なる慣行が廃止されれば、独立して暮らしている愚息たちはもはや「家族」とは認識されなくなるー主観的には家族と思うが、「制度」としてどうかということだ。まあ、独立して別居している息子は、独身であっても、もう「家族」からは離れた。むしろこれが今では常識かもしれない。

「家族」とは何のために存在するのか?以前にも投稿したことがあるが、小生の理解はシンプルである。地縁・親族・姻族を柱とする大家族制から核家族制に移った社会においては、「家族」の存在理由は「子の養育」が目的であるとしか考えられない・・・ロジカルに考える時、何がほかに挙げられるだろうか。夫婦の愛を育むことだけが目的であれば、結婚という制度は不必要だ。相続などは遺言をかいておけばよい。

愚息は結婚をして、戸籍を別に作る時点において、小生とは別の「家族」となる。つまり愚息が子の養育を開始する意思決定をして、自らの家族をつくり始める時点が小生の家族から離れる時である。それは「核家族」であり、伝統的な「大家族」ではない。「核家族」という言葉の意味合いを社会学的な観点からつくづくと実感したのは初めてである。

そもそも戸籍は中国において徴税・徴兵など国家の人的資源をミクロ単位で捕捉する必要性から始まった。現在でも相続手続きにおいて権利確定のための固い情報を提供する。が、なければないで、他の行政ツールはある。実際、戸籍制度をまだ残している国は日本、韓国、台湾など極めて少数である。

それでも日本人の人生に大体は当てはまっているライフサイクルと現在の戸籍制度は案外マッチしているようでもある。

もちろん家族、というか親子関係で繋がっている一族の履歴をお上がずっと保管するというのも怖い。そんな感情があってもよい。負の側面もある ー どんな制度も国民すべてに適用するとなるとそうだ。遠距離から戸籍謄本をとるのも面倒だ。とはいえ、貴重なデータであることも確かだ。個人番号カードがあれば証明書をとるのも簡単になる。戸籍制度は面倒なものだと速断して廃止して困ることのほうが多いかもしれない。

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