2017年2月14日火曜日

徒然なるままに: 宗教・反日・契約

中近東地域で過激化しているイスラム教内スンニ派とシーア派の抗争は、もしマルクスならば、その根底に経済問題があると喝破したのだろう。

そうではなく歴史的・民族的敵対関係が根本にあると見る立場もあるかもしれない。純粋に宗教上の原理における敵対関係が現代にまで継承されているのかもしれない。

いずれにしても「経済問題」だけで、つまりカネや仕事の問題だけで、人は自分の行動を決めるわけではない。

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話題はまったく違うが、韓国の"Anti-Japanism"のことだ。

日本側の報道でもそうだが、現地に赴任する第三国出身者も反日の熱には時に驚くそうである。

が、これは当然の論理だろう。第二次大戦後の「ポスト日帝体制」を基準にすれば、1910年から45年までの旧体制は、李朝朝鮮から高麗王朝を見る立場と相似の関係にある。高麗残党を粛清した動機と「親日派」を抹殺した動機は本質的には同じであるだろう。だとすれば、現代韓国社会・主流派の「反日」は「親日=旧体制の残党=反逆分子」という方程式を使うための大前提となる。その時々において人は変わるものの、攻撃する側が相手を「親日」と呼び、自らを「反日」と位置づけるのは、徳川幕府草創期に社会不安をもたらす反逆者(=単なる不平分子)を「豊臣の残党」と呼んで、有無を言わせず抹殺したことと、どこが本質的に違うだろう。

が、振り返るとずっと昔、日本も同じような状況だった。

80年代バブルの前までは日本にも「戦前は悪・戦後は善」という大括りにした観念があったように思う。この点だけをみれば、朝鮮半島にいる人たちと理念的立場が大きく違うようなことはなかったように記憶している。

90年代のバブル崩壊と金融パニック、中央官庁の相次ぐ不祥事と護送船団行政の崩壊、中央省庁再編成、その後の「保守本流」の退潮などを経て、社会的な心理や理念が大きく変化してきたのは、(中国も韓国も大きな社会的変化を遂げたのは同じだろうが)むしろ日本の側である、と。そう思うようになった。

ある意味で「戦後政治の総決算」は成し遂げられたのだろう。

この大きな変化を日本の「ポスト戦後体制への進化」と呼べばいいのか、「保守化」と呼べばいいのか、まだ明らかではないような気がするが、近隣諸国からみると日本の「保守反動」のようにも見える。そんな気がしないではない。

が、どちらにしても「戦前は悪」という理念が、現在の日本社会でどの程度まで共有され、潜在意識として織り込まれているか、定かではなくなっているのは確かだろう。

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某若手女性タレントが「幸福の科学」に入信するというので世間を騒がせている。ある人は、積み重ねてきた人間関係や契約関係をすべて無視して、自分一人の「信仰」を押し通すのは無責任で勝手だと、怒りの気持ちを否定できないようだ。いや、まったく合理的で常識的な意見である。

宗教は、しかし、激発すれば戦争をも辞さないほどのエネルギーをもつ。たかがカネの絡んだ契約なら尚更だ。

徳川家康の謀臣・本多正信は、若い頃の一時期、浄土真宗の信仰心から家康に反旗を翻し、一向一揆の衆徒の群れに混じり、主君・家康を崖っぷちまで追い詰めたそうである。その後の流浪の果てに、家康の下に帰参が許されたのは、事後的には実に合理的な判断だった。

イスラム教の誕生はビザンチン帝国による不適切な宗教政策が招いたのは事実である(とされている)。

現代社会においても、依然として「宗教」が人間社会の大きなテーマであることに変わりはない。日本でそうなっていないのは、徳川幕府の対仏教政策が稀なほどの成功をおさめたからだ。それでも「信仰」がマグマのような熱をもっていることは常に念頭に置かなければならない。そう思うのだ、な。

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