2016年4月3日日曜日

覚え書: 「給付型奨学金」が拡大しないのは?

この4月に後輩が新たに配属されてきて、下の愚息も少しはしっかりしてくるのじゃないかと思っている。

仕事を始めた時点では数百万円の債務(イヤ、800万円ニ達シテイタノデハナカッタカ・・・結構ナ額ダ)を負っていた。早速、一部の返済が始まっているのだが、確かあと2年ほどすれば、別に貸与された分の返済も始まる。少々給与が増えても可処分所得はな~んも増えんよね、とぼやいてみても、昇給がある分、同年齢層ではまだ恵まれたほうなのかもしれない。返済は可能だからだ。

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このところ、返済を求められる貸与型ではなく、返済免除・給付型奨学金の拡大が日本でも叫ばれている。先進国の中でも、このタイプの奨学金の貧弱さは際立っているからだ。

ただ思うに、時間をかけて検討を続けてみても、結論が出るまでは長い時間がいるだろう。

・・・・・・、小生も学生委員会という所で授業料免除や奨学金について審査したことがある。カギになるのは、やはり『家計基準を優先するか、学力基準を優先するか』ではないだろうか。

現在は、家計基準に重きが置かれている。そんな印象を(全体的には)もっている。

授業料を負担するのは(日本では)ほぼ完全に保護者である。その保護者の支払い能力が現時点において不十分であれば、国がそれを立て替える。受益者である学生があとでそれを返済する。この考え方が確かに合理的であるし、本来はこうでなければならないのだ、な。


が、家計が今は苦しいので奨学金を貸与しても、十分な給与が支給される優良な就職を実現する学生はすべてではない。返済に苦慮する学生が非常に増えているという現実がある。

そこで、返済を求めるのは酷ではないか。そんな発想になってくる。

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しかし、授業料・生活費を本人でも保護者でもない人が代わりに支払うからには明らかな理由が必要である。理由がなければ税金から支出する制度化も無理である

高等教育は生きていくのに不可欠な必需財ではなく、にもかかわらずその経費を他人が負担するからには、負担した人も含めた社会全体がその負担をプラスになると考えなければならない。

つまり負担にはリターンが期待される。人に投資する。まさに、情けは人のためならず、だ。この観点に大多数が同意しない限り、給付型奨学金の拡大は難しい。

もし奨学金給付が投資であるのなら、投資のリスクと利回りがカギとなる。ということは、「経済的に苦しい」かどうかではなく、「将来性がある」かどうかで決める。こういうロジックになるはずだ。


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大学入学時にすでに優秀であることが証明できる学生は、現在の日本では優秀な高校で学んだ生徒であることが多い。また、学問、芸術、武道を問わず、若くして才能を開花できるのは、よい指導者に恵まれ、教育熱心な家庭環境にある子弟がほとんどを占めるだろう。

明治時代のように、志をもった若者が主に学問に熱心な貧乏士族の子弟であり、将来有望な若者を国家が支援することの必要性も公益性も明らかであれば、給付型奨学金に社会的合意を得やすいだろう。

しかし、家庭も、環境も恵まれた子弟が、主に奨学金給付の受益者になるとすれば、公益性はともかくとして、給付が必要であることを説明するのは難しい。

もっと幼い時点で有望かどうかを判断すればどうか。義務教育のある時点において、少数の子供の才能に着目し、選別したうえで、家計状況を問わずに社会が支援する。これなら容認可能かもしれない。

そのためには幼少時から参加費無料の、そして結果に応じて給付型の育成費が支給されるようなコンペティションが開催され、家計状況を問わず、平等な機会が「才能ある子弟」に与えられていなければならない。

しかし、そんなコンペティションがあれば、そこで上位入賞者になるための予備教育が流行するであろう。やはり恵まれた家庭の子弟が有利になりそうである。

結局は、その子が有望であるかどうかは恵まれた家庭に生まれたかどうかによる。そんな認識をくつがえすのは相当難しく、公的な資金があれば「困っている家庭を助ける」という視点に立つべきだ。そんな見方に戻ることになる。

であれば、それは将来性に対する投資ではなく、資金繰りを助ける<立て替え払い>である。いまの制度が最も良い、というより実行可能な唯一の方法である。そんな結論になるかもしれない。

もしも一歩進んで、「困っている家庭の子弟を助けるため、立て替えるのではなく、あげるのだ」と議論するのであれば、しかも「給付対象学生の学力や才能は問わない」というのであれば、もはや奨学金のカテゴリーにはなく、むしろ生活保護 ー イヤ生活保護ではない、福祉政策になるか ー の一環であるというべきだろう。 そうなると、「そんな財源があるなら1日でも早く子供に稼いでほしいという家庭をなぜ先に助けないのか」、あるいは「大震災被災地避難者への支援になぜ使わないのか」などなど、色々と多様な意見が出てきそうである。

税で運営される国公立大学ではなく、私立大学(及び予備校)が独自に行っている授業料免除、奨学金給付についてはまた別枠で論じたい。

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才能のある子弟なら社会が支援する。裕福な家庭に生まれた才能のない子弟は親がカネを負担してそれなりに育てればよい。その他の家庭に生まれた普通の子弟は、環境が許す範囲の就学機会を得て、つける仕事についてほしい、と。

給付型奨学金を増やすとすれば、こんな方向になっていかざるを得ないと思うのだが、誰がうえのようなホンネを堂々と語れるだろうか?

学生本人のモラルに何が求められるかもカギだろう。

任官拒否をする防大卒業生の立場をこえる困難がそこにはあるに違いない。

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