2016年3月10日木曜日

不祥事に思う: 学校と野球賭博について

広島県で再び、というより又々学校不祥事が起こってしまった、かと思うとプロ野球でも又もや野球賭博に手を染めた現役投手が巨人から出てきてしまった。

どちらも最近の世間を象徴する事件ではあるが、怖さに戦慄を覚えるというよりは、どこか情けさに憮然となるところがある。

ただ、メディアでの露出を観察していると、どうもバランスが悪いというか、明らかに「不公平」というか、「おかしい」点がある。そう感じるようになった。

悪いことを横並びに並べて「どちらが悪いか?」と問うても、いまさら意味はないだろう。しかし、どちらが悪質かといえば、命が失われた以上、学校不祥事の関係者は許せないと、多くの人は感じるのではないだろうか。

もともとプロスポーツの世界は賭博に縁のある世界なのだ。そう思えば腹も立たないと開き直ることさえ出来るのだ。

その点を念頭においたうえで小生の疑問を記しておく。

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学校不祥事では、担任教師はまずメディアには出てこない。出てくるのは校長か、時に教頭が同席することもあるかもしれないが、あとは教育委員会関係者であって、直接に生徒と触れ合っていた担任教諭がメディアに映ることはほとんど(というか全く)ない。

不思議に思っていたし、だらしのない教師だと思ってもいたのだが、最近になって成る程と了解できた気もするのだ。

教師を労働者、というか一介の担当社員としてみれば、何かトラブルがあれば担当部長なり、取締役、更にトップである社長がまずは代表者としてメディアに出てきて、会社として謝罪をする。そんな対応を世間は求めるものだ。社長が出ずに、直接担当者をメディアに出させるようでは失格だ。

「労働者」 ー 「従業員」といってもいいが ー 所詮は「業務命令」に服して仕事をしている。故に、トラブルがあった際には、命令をした者が対応する。責任は管理職が負う。このロジックは明瞭である。

では、学校の担任教師というのは「労働者」であり、「従業員」なのか?

だとすれば、担任教師が一切出てはこない状況は理解出来る。管理者たる校長が対応すればよいのだ。


しかし、(あくまで一般論・印象論だが)学校教師は、日常的に校長・教頭など上司の業務命令に服しつつ仕事をしているとは、考えていないのではないか。

受け持ちクラスにトラブルがあれば、管理者たる校長、あるいは直接上司である教頭の指示を仰ぐことなく、自己の裁量で独立して仕事をしているのではないか。

授業の設計についてもしかりだ。どう教えるか、上の意向を忖度して仕事をしているとは思われないのだ。

だとすれば、教師は独立した職であり、労働者ではない。


どうも学校という組織の行動を観察していると、共通のパターンがあると思うのだな。

いわゆる「教諭」は「労働者」なのか?だとすれば、管理職の業務命令に服するべきである。労働者ではなく独立して職務にあたる「指導者」なのか?だとすれば、自身が引き起こしたトラブルに責任がある。

労働者か、指導者か?

どこか「いいとこ取り」をしているように見えるのが、現在の初中等教育の担任教師である。

プロ野球球団で仕事をしている選手は、(組合はあるものの)労働者というより、個人事業者である。年棒は給与ではなく事業所得である。だから、不祥事があれば管理責任が問われるというより、まずは選手個人が責められる。実にスッキリしている。

野球賭博の謝罪は頭にすっと入ってきたが、学校不祥事の謝罪の仕方はよく分からないところがある。学校の校長先生というのは、何をすることが職務なのだろうか?

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