2016年1月8日金曜日

正当化・欺瞞の理屈付け=高視聴率の法則?

正月明け早々、カミさんはソファに寝転んで、先日Amazonで買った日めくり式数独をあれこれ鉛筆で記入しながら解いている。TVのワイドショーはつけっぱなしである。

平和といえば、平和である、な。

『親のケンカを見ながら子供って強くなるものだと思うんです・・・』。・・・ン?聞き逃せんなあ。

『正月帰省、実母はしんどい』。

現代家族事情のさまざま絵模様をワイドショーにしているわけですか。確かにうちのカミさんも一つのサンプルだが、こういう番組での語りは高視聴率をとれるだろうねえ。

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しかし、ネ。

親のケンカを見ながら子供が強くなるって、これは真っ赤な嘘である。

小生の両親は、今から思うと波長が合った夫婦であったのか、なるべくしてなった夫婦であったか、それは息子である小生にはわからない。

親の心の中は子供には結局わからないものである。わかっていると思っているだけである。

反対に、子供の心の中は、親には結局わからないものである。

ただ一つ言えることがある。

父と母がケンカをしている姿を目の前でみるのは、子供にとってとても悲しいのだ。子供に悲しい思いはさせたくないと感じるのが、親の愛情の普遍的な姿である。故に、子供が強くなるのだから、ケンカくらいは許されると考える親は、まあ、減点というか、失格である。そう思っている。

今の世の中、「助けあい」という言葉を借りて、ただ「もたれ合っている」だけのことが余りに多い。この二つ、根本的に違うと思うのだ、な。

人類は戦争することで鍛えられるのだ。何が平和主義だ。戦争を嫌がること、イコール弱さの表れである。

こんな政治家をあなたは正しいと思いますか?

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君子不重則不威、学則不固。
主忠信、無友不如己者。
過則勿憚改。
 
君子重かざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。
忠信を主とせよ、己に如かざる者を友とすること無かれ。
過ちては則ち改めるに憚ること勿れ。


これは悪い、これは間違っているというサンプルを観察したとき、「これもありか」と反応するのを堕落という。腐敗でもある。退廃でもあり、衰退の証拠である ― 証拠であって、原因ではない。

過ちは正したい。この過ちは恥ずかしい。こう感じる心情は孟子によれば義のはじめである(参照:四端説)。まさに改めるに憚ることなかれ、だ。

なるほど坂口安吾に『堕落論』があるくらいだから、堕落の自由もあるのだが、そうであるなら北朝鮮の核実験も、イスラム国のテロも非難する資格はないってものだ。そうでござんしょう。間違っておりますか。

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