2015年12月6日日曜日

メモ-倉本氏の見方と感想

今年の初めになるが脚本家にして舞台演出家である倉本聰氏が日経ビジネスの連載企画『日本の未来へ』に登場した。

そこで述べられている同氏の意見や見方。以前からファンの一人であった小生としては賛成できる点もあったし、できない点もあった。

覚え書きにしておきたい。

 100万円のクルマを買って1年間使うと、価値が50万円に下がるというのが今の考え方ですよ ね。 
でも僕たちが子供だった時代は違った。100円の靴下を1年間使うと、かかととつま先に穴が 開きます。そうすると、お袋やばあさんが夜なべで靴下を繕ってくれる。だから1年間履いた靴下 は、かかととつま先が分厚くなってごろごろするものだったんですね。   
じゃあ、その分厚くなった靴下の価値が50円に落ちているかというと、逆なんです。お袋やば あさんが夜なべしている後ろ姿が焼き付いているから、200円、300円の価値に上がっちゃって、 捨てるどころか宝物になっていくわけです。そういうものだったんですよ。
 (出所)日経ビジネス・オンライン、2015年1月16日、【倉本聰】『日本はリッチだけど幸せじゃない』

価値を創るのは、人間の汗と涙である、と。いわば労働価値説ともいえるだろう。

小生は賛成である。

数学者・エッセイストである藤原正彦氏が若いころにアメリカに留学したとき、かの国が織りなす美しい自然美に接しても決して感動を覚えることはなかった。その理由は、自分の同胞の汗と涙がそこにはないからであると悟ったことを書いていた所がある。感性としては重なっている。

買うものは使われているうちに消耗し、価値を減じる。カネを使ってモノをいくら揃えても、どんどん消費するばかりで何も豊かにならない。貧乏なままだという感覚は、小生には同感できるのだな。

 「足るを知る」ことが僕の座標軸なんです。それをこれまでずっと伝えてきましたし、これから も伝えて行くべきことです。前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはずです。
(出所)同上

小生の祖父は、法曹の仕事を一生続けて判決ばかりをかいて人生を送った人だが、『起きて半畳、寝て一畳、 人間本来無一物』を座右の銘にしていた。

豊かさと幸福は全く関係しないかといえばそうではない。大いに関係している。これについては既に投稿した。今年のノーベル経済学賞を受賞したディートンが著した『大脱出(The Great Escape)』も同じ、大半の経済学者も同じ見解だ。とはいえ、幸福の本質、というか幸福そのものとは何かと問われれば、それはやはり物的生活とは関係のない純粋の幸福をさすのであろう、とは思う。

 僕はよく大学時代や浪人時代に勉強したことって何だったんだろうと思います。大化の改新が何 年だとか、微分積分、サイン、コサインって、皆さん社会に出てどのぐらい役立っています?  僕は因数分解の簡単なのが税金の計算の時にちょっと役に立つぐらいです。それよりも、「この 草は食べられる」「この動物は危険か」とか、そういうことを知った方が、数段暮らしには役に立 つでしょう。

(出所)同上

これは同意できない。サイン、コサインも、微分積分もデータ解析や将来予測では不可欠の道具であり、これらがなくては飯の食い上げだ。小生の暮らしにはなくてはならないものである。

倉本氏が日常的に活用していると思われる携帯電話やインターネットを支える技術にも<最適化>の技術は応用されているはずであり、であれば微分積分やより一般的な関数解析が基礎になっている。

天気予報を可能にする技術にはサインやコサインが応用されているはずだ。

ここには、理系・文系の違いはあれ、人間の汗と涙が注がれている。故に、価値があると言うべきだろう。

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