2015年11月18日水曜日

テロリズムと敵対する周辺列国の戦術は?

「イスラム国(IS)」のテロが世界を震撼させている。

武器の取引市場に容易にアクセスできる状況は、大国による直接統治も困難にし、かといっていかなる形の自律的統治も難しいかろう。そもそも「国民」という意識を超えるローカリズムが広く蔓延しているようだ。


第一次大戦でオスマントルコ帝国が倒壊してから以後、100年という長い年月がたった。かつては「世界を支配した」イスラム社会は、中東全域にわたる覇権を失い、経済的富を欧米に奪われ、名誉とプライドを失い、文明的な劣位に没落し、群小国家に粒状化する中でオイルマネーだけが頼りの漂流を続けてきたような印象がある。

まあ、これも第一次大戦と粗雑な戦後処理の副産物であると言い切ってしまえば、かなりの部分は当たっているのかもしれない。かつての行いの結果として引き受けるべき結果をいま引き受けている、と。欧米に対して冷たい批評をするならそんな風に言えるのかもしれない。

要は、Divide and Rule、なのだから。


しかしながら、もう欧州には支配を裏付けるカネがあるまい。ロシアにもカネはあるまい。長期にわたって軍を動かす力は周辺の「列国」にもはやなく、続ければ破綻するのは「列国」のほうであるのは分かり切ったことだ。

他方、テロリズムを実行する側は、安く調達できる人間を利用した低コストの勢力である。

速戦即決を求めるのは、原則としては劣勢にある側なのであるが、テロ集団とむきあう国家にあっては、むしろ国家の側に早く結果を出そうとする誘因がある。

故に、使用する武力レベルを上げる誘因をもつ。その極限には戦術核がある。その使用を思いとどまっているのは、ただただパンドラの箱を開ける恐怖があるからに過ぎない。


もしも欧州にギリシア問題がなければ、というかそもそも高度の福祉政策もなく、社会保障もなければ、国家は敵対する勢力に向かって大規模な遠征軍を派遣していただろう。

それが出来ないのは、成熟した市民社会がそこにあるからだ。市民社会の維持は高コストである。であるが故に、打撃に弱く、ヴァルネラブルであり、即時の行動をするには余りに硬直的だ。

ここにも対立や紛争に時間とカネを惜しむ速戦即決の誘因がうまれる。そして、目に見える結果を熱烈に求めているのは最初からテロ集団の側である。これも事実である。

いま「イスラム国(IS)]の収入源になっている石油精製設備に空襲のターゲットを移しつつあるときく。

となれば、敵対する双方が持久戦を選ぶ経済的条件を失うことになる。

想定を超える殲滅戦が発生する可能性が高まっているとみる。しかし、片方は「国家」ではない。粒状化し、散在化した人間集団であり、意識を共有する「プレ国家(Urstaat)」のような共生存在だ。

そこには瓦解はなく、絶滅があるのみだろう。

問題は「その後」である。


4世紀から5世紀にかけてキリスト教がローマ帝国の国教になる段階において既にイエス・キリストの人性と神性をどう考えるかで宗教的対立が生まれていた。東ローマ帝国による宗教政策、東西ローマ帝国の力のバランスの背景にはキリスト教内部の正統派と異端派の対立があり、その対立の根源はイエスは人であるか、神であるかという問いかけにあった。

選択肢としては、イエスは人である、あるいはイエスは人であり神である、もしくはイエスは神である。この三択なのであるが、これに各主教管区の対立が絡まって、5世紀から6世紀のローマ帝国域内は混迷を深めていた。いわゆる宗教会議の決議に対して反乱を起こしたのがエジプト、シリアである。神学論争が民族的対立に転化したきっかけとなった。6世紀の東ローマ帝国を治めた名君ユスティニアヌスも宗教政策には苦悩し、その果てにエジプト、シリア、パレスチナの住民は7世紀になってキリスト教異端派に寛大であり、教義的にも受け入れやすいマホメットの下に集まるに至った。

宗教政策の失敗からキリスト教異端派がイスラム教にメタモルフォーゼし、そこからサラセン帝国が成長し、旧ローマ世界が別の世界になったのだが、最初の混乱から結末が見えてくるまでに約300年かかっている。

イスラム国家が倒壊してちょうど100年。

現代世界における宗教政策の行く末はまだまだ先が見えない。


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