2015年11月10日火曜日

議長が市長ではまずいのか

小生が暮らしている北海道では、特に日本海側では、冬の雪をどう問題解決するかが最大の鍵である。

拙宅のある区域では今冬の除雪業者がまだ決まっていない。というのは、市の除雪請負入札に応じるための条件が変更されたことに業者サイドの準備が間に合わなかったためである。そして、その応札条件の厳格化は現市長の急な意向だと伝えられているのだな。

雪が降ればスポット契約で除雪を依頼するようだ。大混乱に陥ることはない。とはいえ、いかなる問題を解決しようとして、今回の一時的混乱を覚悟したのか。その辺の思いがさっぱり伝わってこない。

組織、業務のマネジメントとしては失敗しているし、理念を示したいのであれば、コミュニケーション力が不十分である。

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時々、大学の授業を担当するのと、市の行政トップになるのと、いずれが難しい仕事だろうか。こんな下らない問題を頭の体操とするときがある。

大学の授業には学習指導要領はない。各自自分で考えて自由にシラバスを書いているはずだ。学部や学科による制約もそれほど強くはない。

自由ではあるが、しかし、責任は(基本的に)一人で負う。

担当する以上、体調不良で授業が困難になっても、そうそう交代要員がいるわけではない。以前在籍していた同僚は、授業の合間に大病の手術をして ― 1、2回の授業は補講期間にシフトしたという記憶もあるが ― 退院してから授業に穴をあけることもなく全回を全うしたものである。そんなリスクもあるのだが、それでも大学という職場は組織への同調圧力がそれほど厳しくもなく、自らの仕事の品質を向上させたいと思えば、自分の努力さえ惜しまなければ可能である。故に、やりがいもあると言える。

こんな業態であっても、任用は公募が原則であり、応募には学位、論文等の実績が求められ、最終段階では選考委員会による面談、模擬授業の評価などもある。単に『いい人らしいから』といって選挙で選ばれているわけではない。着任後の研究計画も大事な材料だが、それまでの実績も能力を証明するものとして同じく重要なのだ。

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あれもしたい、これもしたいというのでは、地方行政は無理であろう。それは誰でもわかっていることだ。

誠実な人物であれば、やりたいことがあれば、地位に就いてからも着実に努力を重ねていくであろう。しかし、組織、住民を相手にする仕事を推進するためには、自分の意見は別として、他者と協力しなければ、実行できないことが多い。

トップは確かに理念を示す立場にある。新しい戦略を実行できる立場にある。しかし、新しい戦略は、新たな組織に裏付けられなければ実行できないものだ。そして組織は人に支えられる。やはり『ヒトは城、ヒトは石垣、ヒトは堀』なのである。理解の共有がなければ、トップの理想も全てが絵に描いた餅で終わる。

すべて、言うは易く、行うは難し、なのだ。

小生が暮らす町の現状をみていると、いわゆる「首相公選制」。本当に大丈夫なのかと感じるのだ、な。

多数の国会議員の目で評価されることで、はじめて内閣を率いる総理大臣を目指すことが可能になる。いまの議院内閣制は、時に「四分の一の国民の支持で首相になれる」などと揶揄されることもあるが ― 統計理論的には全くの勘違いなのであるが ― それでも以前の▲▲都知事のようなトンデモナイ問題物件を間違ってトップに据える。そんな事態だけは防止できる。

地方行政はそれでなくとも人材が空洞化している。

自治体などは議会の議長がそのまま自治体の長を兼ねる。それでもいいじゃあないか。そうすれば、成り行きによっては自分が選んだ人が市長になるかもしれない、そう思えば市議会選挙も真面目に投票するだろう。そんな風にもしきりと思われる今日この頃でござんす。

ま、こうなれば議会開催時の座席配置やら何やらを一新しなければならないだろうが。その時は市役所トップが事務方の責任者になるのか…、部長クラスに議員がなるのか…、民選以外の議員枠を市役所OBに割り当てるか……。いや全く面倒だ、今日はこの辺で。

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