2015年4月18日土曜日

何事もうまく行かない方が当たり前なのだが・・・

知人の娘婿が仕事の関係から鬱病を発症して大変苦しんでいるそうだ。実は、小生の亡くなった父も ― 当時は「鬱病」という用語自体が馴染みがなかったから精神内科で受診することさえ不名誉の限りであったが―担当したプロジェクトが職場の労働争議で座礁したのをきっかけに、何年か鬱病を患い、家族がみるのも辛い毎日を送ったものだ。心の病の怖いところは、たとえ寛解しても全治というわけではなく、一度骨折したところがもろくなっているのと似ていて、何度も繰り返し心が弱まるときがやってくることである。父も回復したものの、子どもの時から知っている父とは別の人柄となり、同じ性格の人には遂に戻ることができなかった。父はもう随分昔に亡くなっているが、こんなことを書いていると、またその頃のどこにも逃げ場がないような押しつぶされそうな心境になってくるのは不思議である。

学校で何かを教わったり、年長者が自分の経験を語り継ぐことによって、どれほど苦悩に直面している当人を救えるのか正直分からない。分からないのだが、この世の現実を言い表す言葉はいくつもある。
不自由を常と思えば不足なし
は徳川家康の遺訓だが、ゲーテの名言もある。
もっとも悪しき日に生まれたものには、悪しき日々すらも快適だ。 
西東詩集『箴言の書』
TVの新番組でも精神内科医が登場した。それだけ罹患している人は多数に上っているのだろう。ドラマをみていると精神分析系の治療法から脳科学系のアプローチまで最近では複数の流儀に分かれてきているようだ。

どちらにしても心の病は、風邪やインフルエンザのように1週間や2週間たってから『どう?よくなった?』とは言えず、まあざっとみて1年が相場、というか半年たって悪化してきたのなら、良くなるのも半年はみておく。そのくらいの心構えで焦らずに快方をまつ。それしかないようである。まして、特効薬など、あと二十年もしたら市販されるのだろうかと。待つしかないようだ。

話しだけを伝え聞くと父が苦労をした時と状況はいまだに本質的には変わっていないようである。

0 件のコメント: