2014年8月20日水曜日

負の情報バブル:一つの文例

セウォル号沈没事件当日に朴大統領の所在が不明であった空白の7時間を報道した産経新聞のソウル支局長が、その報道ぶりが名誉毀損にあたり不適切であったという理由で、韓国の検察当局から任意の取り調べをうけたそうだ。これに対して、報道の自由を侵害しているのではないかという懸念が高まっている。

「報道の自由」……、確かに報道は自由であるべきだ。しかし、マスメディアの社員が調べもしないで、あることないことを好きに書きつらねて、人の勤務を正常でない状態にするとすれば、「報道」という名前をかりて「流言」に加担し、流言という商品を販売することで自己利益を得ていることになる。非は報道をする側にある。この点は大半の人がそう思うのではないだろうか。報道機関に期待されている役割は、事実の伝達、事実の隠蔽の防止であるはずで、マスメディアはそのために真剣に努力しなければならない。これが原理・原則だと思う。
安倍首相は長崎で被爆者団体代表らと面会した際、閣議決定の撤回を求められたが、「安全保障環境は厳しさを増している」と持論を展開した。報道によると、終了後、1人が「納得できない」と迫ると、首相は「見解の相違です」と述べ、立ち去った▼もはや問答無用と言わんばかりだ。戦争の惨劇を身をもって知る人たちに吐く言葉だろうか。丁寧に説明し国民の理解を得る努力を続けると話したのは誰だったか▼首相は広島、長崎での平和式典のあいさつが昨年の「使い回し」と批判された。(出所)北海道新聞「卓上四季」、2014年8月20日
確かに安倍総理は原発にしても、TPPにしても大変重要な話題に関する国民的議論の広がりをあまり歓迎していないのじゃないか。小生もそんな風に感じることは多い。しかし、『広島、長崎での平和祭典のあいさつが昨年の「使い回し」と批判された』、この「○○さんは、▲▲であると、批判されているよね」。この文型、真夏の飲み会でこんな言い方をする同僚がいたら、「ねえちょっと、その言い方は卑怯だよ」、まずそう言いますなあ。

大体、式典のあいさつ文は(公職にある人は特に)時によって、場によって、違いがあると必ず違いの理由はなにかと質問される。結婚式の披露宴ですら、ぶっつけ本番のあいさつはしない。言い忘れることがありがちだし、うっかり場にふさわしくない言葉を使うこともあるからだ。大事な式典なら原稿がいる。頻繁にあいさつをするなら違う所と同じ所に注意する。これは当然のマナーだろう。

上の点はともかくとして、「あの人、▲▲だって批判されているよね」という言い方。誰に聞いてもいいが、要するに「私もあの人はいけないと思う」という意見と中身は同じである。

DNAの遺伝子配列ではないが、このような文型は「流言飛語」においてティピカルであると、小生、思っているのだ。下世話な井戸端会議ならともかく、社会的影響力の強いマスメディアが使うべき表現ではないのじゃないか。というより、井戸端会議なら『▲▲だと批判されているよね』とは言わない。『安倍サン、今年も平和式典でさあ、去年と同じ言葉で挨拶してたじゃない。あの感覚、無責任よね、鈍感よね!』と、正直に、きちんと非難するはずである。現にこういう人が多いという確認なら、大いに報道してほしいものだ。ま、道新は卓上四季はエッセーですからと言うのだろうが。

一年以内に大地震が首都圏を襲うと予測している人がいると言われている。

普通はこんな記事は<没>になるはずだ。英語で言えば"They say that ..."という文型だ。『…な人がいると言われている』とはなんだ?探してこい。予測しているのは誰だ?いるといってるヤツは誰だ?同じ話しである。

事実かどうか怪しい噂を「流言飛語」と定義するのである。果たして朴大統領の空白の7時間報道が、社会的にマイナスの価値となる「流言飛語」、つまり負の情報バブルに該当するのか、韓国の検察当局もきちんとした理論を構築しておくべきだろう。

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