2014年8月2日土曜日

人も国も<芸>で食っていくのは大変だ

昨日、カミさんと二人でボリショイ・サーカスを観に行ってきた。地下鉄の駅を降りて、炎天下の中、真っすぐな一本道を15分ほど歩いて現地までいく。周囲は農業専門学校もあったりする田園風景で、家々の回りにはブロック塀ではなく、生け垣がある。サーカスを観てきたというより、田園を散策してきた感もある。

サーカスそのものは価格5千円に見合った内容だ。ただ、あれだねえ……、猫の芸よりは虎の芸をみたかったねえ。空中ブランコはあったが綱渡りがなかった。色々と不満はあるが、ジンギスカン風の馬の曲芸乗りは大したものだ。それにしてもロシア風民族舞踊は騒々しい一面もある……。

プログラムが一冊千円。休憩時間中に前に出て馬や犬達と記念撮影をとると千円。場外の記念品グッズをみると大体千円。この辺りで利益を出すのだろう。

北海道にボリショイが来るのは久しぶりだ。一日3公演をこなすのも大変だろう。ローテーション制をとっているのだろうか?いや、座頭風のピエロ役を除けば、一人一人の演技時間はせいぜい5分だ。やっぱり一人一日三回なのだろう。

練習はしないといけないし、動物の調教もある。芸で食っていくのも大変だ。

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姪が音楽大学にいる。もう3年生である。今夏は教職実習があるかと思うと、2年に1回のコンクールがあり、それにも出場予定だという。こちらも大変だが、やはり音大に入った以上は、身につけた演奏技術―専門は木管楽器なのだが—を生かして人生を送りたい。そんな抱負を持っているようだ。それには、しかし、普通の模範演奏ができるだけでは不十分だ。模範演奏ができれば、「先生」にはなれるが、カネをとって人に聴かせる値打ちはない。芸で食っていくには、模範から外れた、というか模範を打ち破る表現ができて、はじめてカネをとれるというものだろう。そんな表現は、猛練習してもできるようにはならない。できるようになるのは100点満点の模範演奏である。ここまでだ。練習では到達できないなら、それは「才能」によるのだろう。才能は少数の者だけが持つ。だからカネをとれる。芸で食っていける。

『芸で食っていけるのは才能をもった人たちだけだ』。原理はそうなのだが、とはいえ、模範演技でもいいではないか。失敗なく確実にやる。それだけでも人は集まる。驚きはないかもしれないが、いいのだ。

どこかでみた演技ではあるが、完成度の高い模範演技としてちょうど適した価格。そんな価格もある。ソロならプロとして独立できないが、演技団として組織化して、2時間のプログラムを提供する。独占的な市場支配力をもつ。価格を守る。芸のビジネス化である。

模範演技は芸術にはならないが、組織化すればビジネスになる。木管楽器のプロ演奏家として食っていくのは難しい。しかし、音楽ビジネスは今後の日本では成長産業になるだろう。才能で食っていくのは厳しいが、起業するのも厳しいことに違いはない。いずれにしても芸で食っていくのは大変だ。

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この11月には、今度はロシア・ボリショイ・バレエ団が来日する。サーカスもバレエもこんな風に世界を公演して回っている。回る先で観衆を集めて外貨を獲得している。外貨は国の財産になる。だからサーカスもバレエも国立である価値がある。こんなロジックだ。ロジックが通っているから、社会システムの中に織り込まれ、学校もあり、次世代が育ちつつあり、芸能が継承されていく。こうした在り方の全体が公演の品質への信頼を形成し、世界市場でブランドになっている。ちょうど日本の新幹線を車両だけではない、運用・管理も含めたシステム全体を総合商品としてブランド化しようとしているのと同じだ。

ロシアは、率直にいって、いま評判が悪い。欧米(日)からウクライナ紛争、マレーシア機撃墜事件への関与の疑いから経済制裁を受けている。それでもロシア文化のプロモーション活動は昨日のように滞りなく開催されている。いけば観衆は満足して会場を後にしている。これはロシアという国がもっている文化リソースである。

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日本はどんな文化リソースをもっているだろう。
日本政府が、植民地時代の韓半島(朝鮮半島)から日本に持ち出された文化財の目録を保有していながら、韓国に返還を要求されることを懸念し長期にわたって隠していたことが、日本の市民団体が起こした訴訟の過程で明らかになった中、韓国の国会議員がこれらの文化財の返還を促す決議案を発議した。
(出所)朝鮮日報(日本語サイト)、2014年8月1日

返還決議されるような文物は、日本国伝来の文化リソースとは言えない。誰はばかることなく、世界に展示できるような文物を安定的に継承し、再生産できる制度を作っておくことは、当事者達を既得権益者にするのではなく、文字通りの<国益>だとみるべきなのだろう。

日本は、<モノ作り>を基本とする国だと自称するのもよいが、モノはコモディティ化すれば、別に"Made in Japan"である必要はない。本当の意味で日本を他国と差別化し、日本をオンリーワンとするものは何か。芸で食っていくのは、国であっても人であっても、大変な苦労がいるのだ。莫大なエネルギーをそこに投入する覚悟がなければなるまい。日本人がそんな努力をするしかない。価値の源はモノ・カネ・ヒトだと言われるが、最後に残るのはヒトしかない。他国がもっとも模倣困難であるのは「日本人」に行き着く—それでもなお、日本人以上に日本人的な外国人がいてもいい、だから決して模倣不可能ではないのだが。


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