2014年7月2日水曜日

「集団的自衛権」論争は一過性の花火で終わるか?

集団的自衛権の行使はしないという憲法解釈から、行使するという憲法解釈へ、内閣はこれまでの解釈を変更する閣議決定をした。

たとえば朝日新聞など、いわゆる「護憲派」は一斉に反発しており、「暴挙」であると非難している。一つの典型的な意見は歴史学者の加藤陽子氏が同紙に寄せている以下のような立場であろう。
 ■東大教授(日本近現代史)・加藤陽子さん
 集団的自衛権の行使容認で、政権は中国へ無言の圧力をかけたいのだろう。だが、中国は歴史問題の使い方がうまい。閣議決定は、中国国内の不満を「反日」に振り向けるのに利用されかねない。尖閣周辺での偶発的衝突などは世界が危ぶんでいる。日本の最大の抑止力は「非戦」のはずだ。
 閣議決定にある「国民の権利が根底から覆される明白な危険」という言葉は、一見、発動を厳しく限定しているように見えるが、政権が、国の存立や国民の生命、自由の危機について扇動しやすくする面もある。
 かつて日本は、多くの兵士の犠牲によって得た中国での権益を「生命線」として手放せず、米英との戦争を避けられなかった。もし海外で自衛隊員が犠牲になれば、国民はその死を深く悼むだろう。追悼の「記憶」が、外交的妥結を難しくすることも懸念される。(出所:朝日新聞、2014年7月2日
集団的自衛権の行使容認は、なるほど対中外交で安倍政権がとった戦術であるという見方もできるわけで、それが本当に日本がいま選択するべき外交戦略であるのか疑わしいと。そういう見方もできるのだろうが、それだけが集団的自衛権を議論するときの唯一の論点ではないし、また最も重要な論点でもないような気がする。

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外交という視点に話を限ってみても、各国は何度も意思決定を行う時機があるもので、したがってゲーム論の中では1回限りのワンショット・ゲームではなく、一連の行動計画を最適化するダイナミック・ゲームになる。

その長期的に最適な行動方針を決めるときにポイントとなるのが、自国の行動が周辺国に与える直接的な効果と、自国の行動変化が相手国の意思決定に影響することでもたらされる戦略効果である。特に、後者の戦略効果が長期的には状況の変化を支配することが多いとされているので、重要だ。

本当に「非戦」へのコミットメントは平和を維持する最適な長期戦略なのだろうか?オバマ大統領が対シリア軍事介入はしないと平和攻勢をかけることで何かプラスの効果が得られたのか?この問いかけは普遍的な意味をもつだろう。ウクライナ紛争で軍事力を使うことはないとあらかじめ言明することが、どのような意味で<アメリカにとって>最適な戦略であるのか?

日本に戦後の平和をもたらしたのは、戦争を放棄した日本国憲法であるという見方は、あまりにも一面的な現実認識だろう。なるほど平和憲法もないよりある方が良かったろうが、日本国内と-とりわけ沖縄と-朝鮮半島に配置されるアメリカの軍事力が、戦後東アジアの平和を維持してきたという見方の方がより現実に当てはまっているのではないか。

確かにアメリカは、朝鮮戦争、ベトナム、アフガニスタンとずっと戦争行為を続けてきた。しかし、アメリカは戦争をする国であるという事実こそ、日本の平和を守る最も有効な国際政治資源であった、こういうと護憲派に対して余りにも冷ややかな批判になるのだろうか。

日本は日本国憲法をもっている。それは国際的にも知られているのだろう。それは日本をみる眼差しを決める一因にもなっているのだろう。しかし、日本人は韓国の憲法を読んだことがあるのか?中国の憲法はどうなっているか?インドの憲法は?つまるところ、その国の憲法に書かれている文言が、その国の戦争と平和を決めてしまうという見方は、現実をみる上であまりにも夢想的でロマンティックにすぎると小生には思われるのだ、な。

世界から戦争をなくするためには、書かれた文章ではなく、現実に機能する力が必要である。それは日本の戦国時代に終止符をうったのは、平和運動ではなく、豊臣政権と次の徳川幕府という抗いがたい<武威>によるものだった。この事実をみても分かるのではないかと思う。

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ただ、内閣が憲法解釈を変えるのは自由だろうが、今後改正されるはずの自衛隊法が違憲訴訟に耐えられるかどうかはまた別の問題である。

マスメディアを通して伝えられている憲法学者の意見をみても最高裁が改正自衛隊法を違憲とする可能性は大いにある。憲法の文言から改正自衛隊法が論理的に出てくるものであるか?それは法理の世界で審議されるのであり、国際政治の力学とは無関係でなければならない。

混乱しなければいいけどねえ…、韓国政府も時に韓国最高裁に振り回されているが、この先日本でもそうなるのじゃないか、そんな予感もするのだ、な。

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