2014年6月13日金曜日

個別的-集団的: 自衛権の下らない論争

集団的自衛権をどの程度まで認めるべきかで、ダラダラと下らない論議が続いている。

そもそも憲法に関わる問題は、普通の日本国民の誰でも理解しやすい議論が国会、政党間で繰り広げられるべきだ。憲法オタク、法律専門家が喜びそうな議題は、本来は細かい精緻な検討が必要な事柄であるべきだろう。自衛権はそんな細かい事なのか?国の基本だろう。基本的な事柄であるほど、専門家の出番ではなく、普通の国民が主役になるべきだ。

とまあ、そんなことを言い出せば政党、政治家のメンツもたたないだろう。今日はこれだけを覚え書きまでにメモしておきたい。

× × ×

集団的自衛権と個別的自衛権の違いに連立与党・公明党は拘っているようだが、どちらも自衛権に違いはないだろう。国の姿が正反対になるなどと、「よく言うよ」と正直思うのだ。

日米安保は、日本の自衛のために結んでいる条約ではないのか?アメリカの国益・国防のために結んでいるのか?日本の国益・国防のためだけに結んでいるのか?まあ、日米安保は集団的自衛のための条約ではなく、個別的自衛のための条約なのだろう。現在の自衛隊は、その筋道に沿って個別的自衛活動のみをずっとやってきた。そういうことなのだろう。

欺瞞だと小生は思うが、それはそれでいい。ま、あれだ。こんな議論は普通の人には政治家の屁理屈にしか思わないだろう。

普通の人なら、個別に自衛活動を行うより、複数の国家が集団で自衛活動をしたほうがコストが節減できるのではないか。そう言うのじゃないか?この問いかけにはどう答えるのだろう。

数年前に実質金利と実質成長率の大小関係について経済財政諮問会議で神学論争が繰り広げられたと記憶している。今は労働市場の引き締まりから、デフレが終息し、今度はインフレに備える、いわば出口戦略を論じる状況になってきた。一体、あの神学論争は何だったのでしょう…、そう思うと「ウタタ感慨をもよおす」今日この頃であるのだ。

集団的自衛権云々も、数年もたてば閑人の時間つぶしだったことになるのではないか。

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