2014年5月15日木曜日

覚え書−ある面の平等をめざせば、別の何かが不平等になる

所得分配の平等に執着すると、完全平等が最も善いのだという議論になりがちだ。このことは以前にも投稿した。

完全に平等な所得分配を実現するためには市場経済より計画経済が適している。しかし、計画経済を貫徹しようとすれば、政府による強力な指示と誘導が必要になる。強い権力が必要だ。だから、国民の経済的な処遇は平等になるが、政治権力は集中化されることになる。


政治権力の集中を否定して独裁者の出現をできるだけ排除しようとすれば、経済的取引を自由化しなければ、絵に描いた餅に終わる。規制を温存すれば、それによって恵まれる人が固定され、社会的影響力をもつ人間集団がそこに形成されるからだ。なので権力を広く分散するには、経済的な自由化を行い、能力や実績と関係のない権利と利益が世代間で継承されることがないようにしないといけない。そうすれば、しかし、政治権力は国民の間に広く配分されるが、個人の才能に応じて稼ぐ所得には格差が生じる。

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不平等化する所得分配を再び平等化しようとすれば、富裕層への増税と低所得層への所得移転が避けられない。中間層が薄くなり、低所得層の人口が富裕層の人口より決定的に多くなれば、富裕層の収奪が政治的に可能になる。しかし、多数の低所得層を政治的に組織化し、富の収奪を行うだけの権力が形成されるとしたら、最高指導者は最高の権力をもつ結果になる。

いずれにしても、政治的にか、経済的にか、疎外される人間集団が必ず発生する理屈である。何らかの不平等は避けられない。どちらの不平等をより嫌うかで社会体制の大枠が決まる。

「ちょうど良い不平等」を模索するプロセスが、その国の「政治」に他ならない。

……昨晩、こんな風に思ったが、どうだろう。忘れるといけないので覚え書きにしておいた。

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