2014年5月12日月曜日

福島第一と鼻血: 「気に入らない意見」にどう対応するのが正しいか

たとえば「1+1は2とは限らないですよね」と言う人がいれば、「こいつは馬鹿か」という人もいれば、「で?なに?」と反応する人もいる。反応は様々だが、社会的敵対者であると断ずる人はそうはおるまい。なぜかと言えば、その人が(1+1)を2と考えようが、3と考えようが、一概に言えないと考えようが、大事なことはそこから引き出される結論がどうであるかということであるし、そもそも自分の暮らしとは直接関係がないからである。

目の前の人が何を言おうと「お手並み拝見」という姿勢が、正しいかどうかという点では最も正しい姿勢である。損害が発生した時点で、相手が正しくて自分が間違ったことをしていたのか、相手が間違ったことを主張して自分に迷惑がかかったのか。ここを真剣に考えればよろしい。

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では、いま世間の話題になっている『美味しんぼ』の鼻血騒動はどうか?山岡史郎が福島第一原発を見学した帰り、鼻血を出してしまったところ、福島県内の元町長である人が「そんな人は県内に大勢います」という主旨の説明をしたというので、「これは怪しからん」という人が出てきた。その続編では、更に「被ばくしたからですよ」という説明がされ、「福島県にはもう住めないのです」、「完全に除染をするなど不可能です」と、さらに刺激的な説明がされているというのだから、これは原作者である雁屋哲氏の確信に基づく展開なのだろうが、一層激しい論争がまきおこるだろう。

自分の意見を新聞や出版を通じて世の中に訴えることは、全ての日本人がもっている表現の自由であって、この基本的人権は憲法で保障されている。だから、雁屋氏の意見が間違っているか、適切かは関係なく、美味しんぼのストーリーを変更するべきであるとか、小学館はそんなコミックを出版するべきではなかったとか、その種の規制を加えようとするのは不適切である。戦前期・日本の愚かな全体主義を忘れてはならない。個人の意見表明を、検閲によって規制する時、「社会の安寧秩序」が大義名分とされるものなのだ。

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なるほど、微量の放射線が人体に与える長期的影響が原発事故のあと3年を経て現れてきたのだと、そう考えるには3年という時間は短かすぎるとも言える。

しかし、福島第一原発で「水素爆発」が起こった時、相当の放射性物質が飛散したことは事実として確認されているし、そのとき戸外にいた人はどの位の被ばくをしてしまったのか。なぜヨウ素を直ちに服用するよう指示を出さなかったのか。マスメディアが追求するべきであるにもかかわらず、全くといっていいほど放置されている問題は、数多くあるのではないか。離れたところで暮らしている小生も常々疑問に思っていることは多いのだ。

福島第一周辺地域で昆虫の奇形が目立って増えているという「噂」も耳にしている。

「福島県内の人は鼻血を出す人が多いんだってねえ…それって、放射線のせいなのか?」と、論争を不毛化するのではなく、福島県内をブロックに分けて、この3年間で鼻血で診察をこう患者が目立って増えた区域はどの区域なのか?その患者数は、年齢や健康状況を考慮したとき、確かにその他の自治体に比べて多いのか?もし確かに「患者が多い」と判断される区域が、水素爆発を起こした際に放射性物質が拡散したと思われる区域と重なっているとすれば、やはり雁屋哲氏の言い分にも根拠はある。そうなるのではないか?

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「気に入らない意見」を耳にしたとき、決め手はデータの収集とデータの分析しかない。データを見ることなく、「そんな意見は風評被害を拡大するものだろう」と頭ごなしにいうのは、為すべき論争を故意に不毛化する態度といえる。これ自体が「逃げ」の姿勢だ。1回の調査でケリがつく問題ではない。継続的に多くの人が異論を提出し続けることが大事だ。よろしくないね。そう思うのだな。

今度の授業でも強調するつもりなのだが、

  1. 違いに気づく
  2. 違いに着目する
  3. 違いについて考える

この三つは、常に統計の主題である。せっかく雁屋氏が「福島県内ではすぐに鼻血を出す人が増えている」と指摘してくれたのだから、「本当にそうなのか?」を問えばいいし、もし本当なら「なぜなのか?」を考えていけばいいのである。

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