2014年4月23日水曜日

メモーこんな路地があったら面白い

昨晩みていたボンビーレシピから思いついた事。

小生: 港町なんだからさ、何とか小路とか何とか横丁もいいけどさ、ある路地をはいったらね、「ボンビーレストラン」とか、その隣には「貧困食堂」があるのよ、向かいには「超安亭」があって、斜め向かいの縄のれんは「酒貧窟(しゅひんくつ)」、その隣には回転寿しの「愚留愚留雑魚場寿司(ぐるぐるざこばずし)」。いいだろ?入るよ。
カミさん: ほんとよく思いつくよねえ、いいけど、お金もってない人たちばかり入ったら、やっぱり儲からないんじゃない?
小生: 出すのはボンビー飯だからねえ、人数で稼ぐんだよ。どう?観光の名所になるだろ?
カミさん: テレビにはなるかもね。
小生: それにしても金持ち・富裕層が集まり住んでいたこの町に貧困ストリートができたら、世の中変わったってことになるだろうねえ…
貧乏でも幸福はそこにある。うなるカネを持っていても、幸福は逃げていき、不信と孤独が忍び寄るものである。

少子化と高齢化を放置すれば、必ず日本人の生活水準は下がる。これは確実だ。だから大量移民受け入れになるのか、だからTPPで経済成長を求め農業は犠牲に供するのか?

貧乏にはなっても、何代か前の先祖の生活水準に戻るだけだ。夏の暑さを、冬の寒さを、じっと噛みしめるのも人生のスパイスだと思えばよい。「貧乏なんてこわくない」、そう開き直れば別に何もしなくてもよい。没落の権利は国民にある。こんな選択肢もあるというものではないか。

以下は今日のメモを書いていて、さらに思い付いて書き足した: 

親がこんなことを言って、実際に貧乏に耐えるのが子供の世代というのは、これはやっぱり無責任?、いや無遠慮?、それとも無気力?ま、なんでもいいが、誉めてはくれまい。子供たちからは『俺たちの親ってさ、あれよ、三無主義?というか、五無主義?とにかく自分勝手で、やる気なかったわけよ』。そんな風で、非常に評判の悪い世代になってしまうだろうねえ。

粗暴で攻撃的であったが、幕府を倒して停滞から発展への道を開いた幕末の志士たちの世代は、150年が過ぎたいまでもやっぱり評判がいい。攘夷を志しながら、いざ政権をとったら世界の潮流を理解して、国民に評判の悪い文明開化政策をとった明治の政治家も、評価は決して低くはない。『日本は滅びるね』と漱石は「三四郎」の暗闇の牛に語らせているが、それでも明治の政治家は庶民に媚びず、為すべきことを為そうという志だけはあったのだろう。

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