2014年3月12日水曜日

地元紙が脱原発を唱える目的は…

定期購読している北海道新聞-まだ紙媒体を中心に販売している伝統紙だ-は、明らかに脱原発派であり、原発再稼働への反対を繰り返し主張している。今日もそうであった。
また聞かされてしまった。「じゅもん」のように繰り返されるあのフレーズ。おととい、大震災から3年を前にした記者会見で、安倍晋三首相はあらためて宣言した。「原子力規制委が世界で最も厳しい規制基準で徹底的に審査し、適合すると認めた原発は再稼働を進める」と▼私たちは、どうも「世界で最も」とか「世界一」という言葉に弱い。首相が「『最も厳しい』というなら、安全、安心だ」と思う人がいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい▼規制委の審査の厳しさは本当に世界一なのか。たとえ世界一厳正だとしても、そもそも原発は「危険物」。危険な者同士が競い合って、「俺が1番安全だ」と胸を張ったところで、それが「危険」であることに変わりはない▼国も原子力ムラも、福島第1原発の大事故以前に、「日本の原発の安全性はとてもじゃないが世界一ではありません」とは説明していなかった。もしも真実を知らされていたら、日本列島に50基を超える原発が林立したろうか。泊原発はできていたろうか▼「鏡よ鏡。1番美しいのはだあれ」―。グリム童話の鏡は、嫉妬深く残忍な妃(きさき)の問いにも、「それは白雪姫です」と正直に答えた▼原発を再稼働させたくてたまらない政権が、「1番安全なのは日本でしょ?」と、にらみをきかせて判断を迫る中で、鏡(規制委)が割られるのも恐れず真実を答えるとも思えない。
(出所)北海道新聞、2014年3月12日

原発とどう向き合うかをとことん突き詰めていくと、日本人全体をほぼ二分するものと小生は見ているのだが、地元紙に反映される意見はどの地方も脱原発派であるように見える。いま日本で原発再稼働に積極的なのは、経済専門の全国紙・日本経済新聞、それから保守陣営の産経新聞辺りしか思い浮かばないのだ、な。

しかしながら、道新など地元紙が脱原発を唱える目的は、色々な解釈が可能であると思う。

  1. 真の意味で<脱原発>が正しいと考えている。それ故に、日本全体として再生可能エネルギーへ舵をきるべきだと主張している。
  2. いずれ日本経済の崩壊を支えるために原発再稼働は避けられない。その再稼働される原発施設は北海道外であってほしいと考えている。だから<脱原発>で地元を集約しようとしている。更に、その根底には次の心配もあるのかもしれない。
  3. 人口集中地区が近接している北海道外では、一部例外を除き、原発運転は政治的に非常に難しくなった。しかし原発は今後も必要であると政府は考えている。老朽原発はいずれ廃炉にせざるをえない。人口が希薄である北海道に原発を集中的に立地させ、電力流通市場を国内に整備すれば、安全と両立させながら、比較的安い電気料金を国内に形成することができる。この方向を実現不可能にするため、北海道内において先行的に風力発電、太陽光発電施設を集中的に立地させ、脱原発路線を浸透させる。
道新の社説などを読んでいると、原発に反対する哲学や倫理的潔癖さが確かに伝わってくるのであるが(上の1)、哲学と理想を語っているように見えて、実は北海道の地域利益を守る戦略的コミットメントであるかもしれないのだ(上の2、3)。もしそうであれば、中々、インテリジェンスにあふれた姿勢である。

いずれにせよ、同じ発言は異なった別々の動機からなされるものであって、言葉だけを聴いていても、その人の本当の意図はわからないものである。

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