2014年2月8日土曜日

WSJ: 日本をみるもう一つの視線

ソチ冬季五輪が始まった。
北海道でも札幌雪祭りや、小樽の雪明りの路が始まった。
いつの間にか正月、松の内、小正月、節分、立春が過ぎて、春をまつ季節になってきた。
今週は毎日会議があり慌ただしかったが、今年度の仕事もそろそろ一段落させる時期である。

それはそうと……

特定の新聞社が一つの観点にたつ意見を記事にしたとしても、それと矛盾する見方は一切とらないという意味ではない。

互いに矛盾する内容の意見を並列して認めることは、真理を得る帰納的方法においては、必ず行わなければならない鉄則である。

端的にいえば、ある時点で知られていることは必ず一面的であって、真理を示唆する材料にすぎない。個別に一つずつをとりあげて、それが正しいとか、誤りとかを言っても、さほどの意味はないのであって、常に全体的な見方の転換というのは起こりうるものである。「パラダイム・シフト」という言葉を知ってはいても、実際に身につけて日常的に生かすことは難しいものだ。

前回投稿のあとWall Street Journalが社説を載せた。『日本には集団的自衛権が必要―アジアの民主主義に貢献』がタイトルになっている。最後の下りをここでは引用しておきたい。
憲法の新たな解釈が日本の軍隊から制約を完全に取り除くことはないだろう。安倍首相は憲法改正を求めたい考えだ。中国は集団的自衛権をめぐり大騒ぎする一方で、中国政府首脳は自らの行動が政治的に道筋を開いたと考えるかもしれない。中国が尖閣諸島や南シナ海の問題をめぐって武力で現状を変えようとし続けるなら、安倍首相あるいは次の首相が憲法第9条を丸ごと削除するかもしれない。 
 安倍首相は、日本をアジアで主導的役割を果たすことのできる正常な国にしようとする取り組みにおいて称賛に値する。日本政府は平和に貢献し、この70年間で過去の行為を償ってきた。日本は民主主義のため隣国に安全を保障するという自らの役割を果たすべき時がきている。
(出所)ウォール・ストリート・ジャーナル、2014年2月6日

 小生は、矛盾した意見を時に応じて平気で次々に言う人が大変好きである。それぞれが、その人にとっては真理であり、個々の矛盾はそれだけ現実が多面的で、互いに矛盾しているかのように見える世界であることの反映だからであって、混沌とした発言はむしろ奥深さを意味していることがあるものだ。

ここまで書いて連想したのは、かなり昔に読んだハイエクの文章だ。
(設計主義的合理性の下にできあがった)設計によらずして、「成長して成った」制度に対する関心がこのより古き思考様式の復活へと導いた。(出所)ハイエク『市場・知識・自由』、第5章「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」、137ページ
「古き思考様式」とはイギリス伝統の帰納哲学のことであり、制度の設計ではなく、制度の(自然的な)成長を重視した。成長を重視するというのは、その制度を導入する当初においては、まだ未熟・不完全であるが、永年をかけて国民が新しい服に慣れていくように、制度を修正していくということになる。最初が不完全なのだから、修正の頻度が高ければ高いほど、より速く完成されるわけでもある。

このような思考様式は、日本国憲法の「護憲派」にはとても容認できない立場かもしれない。護憲という言葉には、変革の拒否、完全なるものの守護という意味合いが込められている以上、上のような不完全なものを完全なものに直していくという発想が欠けているからだ。

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