2014年1月20日月曜日

靖国神社―長く尾をひく争点を残すのが合理的戦略なのだろうか

書店の棚の一角をすべて靖国神社関係書籍が占有するようになった。そもそも奇妙奇天烈な現象であって、どこかがおかしいと感じるのがバランスのとれた見方だと思う。

いうまでもなく靖国神社は、今日の日本においては宗教問題ではなく100パーセント政治問題である。初詣で明治神宮に参拝したからと言って、その人は神道の信者であるわけではなく、婚礼も葬儀も神道とは別の様式で行われることが普通だろう。そしてまた靖国神社は、ビジネスともほとんど関係がなく、経済取引上に占めるポジションも無視できるほどに小さい規模なのである。それ故、いまの「靖国問題」は、TPPのような国民の暮らしに巨大な影響を与える経済問題でもなく、思想や信仰の自由を大きく左右する宗教問題でもない。そう判断して間違いない。

だから「靖国問題」というのは、純粋の政治問題である。例えていえば、関ヶ原の合戦のあと大阪市民が秀吉を祀った豊国神社に参拝するのは是か非かという問題である。所詮は意地を張る意味はあるのかないのかという議論なのだ。そしてすべての政治問題は国内的側面と対外的側面が混在しているものだ。このところ政治問題として先鋭化しつつあるのは、主として対外的な側面である。しかし、国内的側面で問題がまったくないわけではないのであり、靖国問題を語るときは、常に国内、対外二つの方向から議論しないと真っ当な意見など出ては来ない理屈だ。


今度は台湾の馬総統が従軍慰安婦と靖国神社参拝で日本を激しく批判しているとの報道だ。
馬氏は元々、慰安婦問題などの歴史認識では日本に厳しい立場で知られていたが、2008年の総統就任後、これほど強く日本を批判したのは珍しい。
 中央通信社などによると、馬氏は18日に元慰安婦とされる南部・屏東の女性を訪ねた。その後、フェイスブックで「(慰安婦は)日本軍の暴行という歴史の目撃者だ」などと指摘。安倍首相の名指しを避けながらも、靖国参拝は「(慰安婦らの)傷口に塩を塗るようなものだ」と書き込んだ。(出所)2014年1月20日 読売新聞
従軍慰安婦・強制労働・靖国神社の三点セットが、日本を非難するときのオールマイティの外交ツールとして利用可能な状況がつくられつつある―もちろん作っているのは中国であり、韓国であろうと推測されるのだが、だれが作っているのか、もはやそれはどうでもよい。オールマイティの外交ツールを相手に提供するのは日本の損である。簡単な理屈なのである。

こういう判断が正しいのであれば、まずは将棋の玉が詰められないように防御を固め、状況の好転を図る必要があるだろう。

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安倍総理の靖国神社参拝については以下のような反応が観察されてきた。

失望した(US)
選挙公約を果たした。それだけだ。(US)
危険な方向へ歩み始めている(独)
オウンゴールだ(豪)
傲慢かつ反省なき態度である(中国)
被害者の心を踏みにじる行為である(韓国)

概略、マスメディアを通じてこんな反応を目にしてきた。そして日本の首相本人は靖国参拝は<戦略的行動>であると語っているそうだ。

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靖国参拝自体が戦略目標であるはずがなく、本来の国家戦略の目標は日本の利益(=国益)であるだろう。また靖国参拝は、リデル・ハートのいういわゆる「直接アプローチ」ではなく、「間接アプローチ」であるとみられるから、それは日本を観察している関係国の見方、日本がとる行動についての周辺国の予想に影響を与え、その影響が日本にとってプラスとなることを期待するコミットメントと解釈される。

ただ今のところ、ほとんど全ての周辺国から「失望」されたり、「チョンボ」扱いされたり、「怒りの対象」になっているから、通常の意味でプラスの戦略的効果は得られてはいないようだ。

得られているかもしれないとすれば、「頑固だが信念をもつ政治家である」というレピュテーション(=風評)を形成することによる利益であって、強欲極まりない創業者が損得を度外視して競合他社から顧客を奪いつくす攻撃的行動をとり続ける発想と類似している。そうすれば、次第に他社は理屈の通じない相手と戦うことが損であることを悟り、結果として強欲な創業者が利益を得ることができる。いわゆる「チェーンストアの逆説」であるな。

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安倍政権が本当にこんな風な意図をもってコミットメントを繰り広げているなら、ひょっとすると効果はあるのかもしれない。しかし、それはかつて太平洋戦争で神風特攻を繰り返し、相手に日本人に対する恐怖・畏怖の気持ちを抱かせた戦術とほとんど同じであろう。

畏怖の気持ちを持つことと嫌悪の感情を抱くのとは表裏一体である。戦後の日本は、周辺国が呆れるほどに強硬で攻撃的な外交は行わない。たとえその戦略が効果的であると知ってはいても、信義と相互理解を原理原則とする。それが「戦争放棄」以上に戦後日本の国是であったのではないか。中国が「軍備増強を伴った平和的台頭」を目指すからといって、日本もまた「より強い軍備の裏付けをもった平和国家」を目指すというロジックは成立困難であると小生は思う。これだけの年数が経っても、やはり日本のウィーク・ポイントは敗戦国であり、先に手を出した側であるという歴史的事実にある。時代とともに国際的なレジームは変わるものだが、Pax Americanaの下で「戦犯」という言葉の魔力は消えることがないだろう。中国はアメリカを潜在的ライバルとしているが、日本を「戦犯」と呼ぶことの賞味期限がやって来るまでは、中国はアメリカを(いまの所)必要としている。アメリカもまた日本国内に配置している軍事基地がアメリカの覇権を支える基礎である以上、「戦犯」という言葉の魔法の胴元であり続けるだろう。この一点で米中(プラス韓)が異なった見解に達することはないのである。

なにも不思議はない。そもそもナポレオン戦争後の「ウィーン体制」、第一次世界大戦後の「ベルサイユ体制」を思い起こすまでもなく、「ヤルタ体制」なる国際レジームも最後の戦争の勝敗を反映している。冷戦は終わったがヤルタ体制はまだ死んではいない。フランスもまたかつては戦犯という立場におかれたのだ。そのフランスの名誉を回復したのは「7月革命」と「2月革命」による民主主義社会の確立である。そう考えると、アベノミクスならぬ安倍外交は、戦後日本の基本方針を少なからず否定しているようだが、向いている方向が前ではなく、後ろであるようだ。ドイツが旧敵国との国家連合への道を歩むことで「戦犯」という言葉の磁力から身をかわしているように、日本もまたそういう工夫をして創造的な社会をつくらなければ、安倍総理の念願である憲法改正を容認する力、というかモメンタムは世界のどこからも生まれてこないだろう。

どうもアベノミクスの他には安倍政権に見るべき点はないと小生は思う。しかし、あまりに話しが広がりすぎた。また別の機会に書き留めるとしよう。


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