2014年1月19日日曜日

日曜日の話し-システムを改善するべきときとは

昨日は大学入試センター試験の第1日だった。監督も大変重要な役割だが、それでも何度も何度もやると流石に飽きるというと不謹慎だが、己(オノレ)がやっていることの意義に疑問を感ずるようになることも人間普通の在り方というものであろう。

こんな会話があった。
小生: 英語のリスニングのICプレーヤーは最初は不安定でしたが、だんだん完成されてきて、いまではトラブル発生率が何十万の中の十数台、率にすると0.015パーセントくらいだそうですね。それでも、実際には受験生が何十万人もいるわけですから、全国で何件かは障害が発生する。そのトラブルが、私の担当試験室でないことを神様に祈るばかりですねえ…。ほんとに運・不運だけですよ。いざトラブルになると、トラブルに対応した経験もないですし、記入するべき調査票などの類が多すぎて、リスニング試験をやりながら現場で処理するなど、ほとんど無理な方式ではありますまいかねえ?
K先生: 確か経済学者じゃなかったですか?一つのシステムが完成され、成熟していくときこそ、新しいシステムに移行するべきである。確か、そんな説がありましたねえ。
小生: 複雑性の議論ではないですか?
K先生: そうそう。基本的な部分が完成してくると、細かな所をますます磨きに磨いて完全なものにしようとする。そうすると、どこをどう変更すれば全体はこうなると分かる人がだんだんいなくなって、それ以上大事なところを良くすることは不可能になる。どうでもよいところを変えてみるということしかできなくなる。
小生: 過剰に複雑な方式よりもっとシンプルで、理解しやすいシステムで、同じ程度に役に立つ方式はいくらでもある。それがシステム移行のチャンスである。そういうことですね。
終わって、エレベーターに一緒に乗った同僚とも話した。「もう飽きますなあ」、「だけど細かいルールが、毎年、ちょっとずつ変わってますよね。あれなんですか?」。


小生が役所勤めをしていたのはずいぶん昔になったが、現行システムの枠内で問題点を列挙して、その改善を立案するのは主として係長や課長補佐の仕事だった。課長は、現行システムの限界を判断し、新しい政策の企画責任者となって幹部や大臣、議員に根回しをするのである。細かなルール変更、手順変更は、課長補佐クラスの仕事である。おそらく入試センターの現場は懸命に「改善」への努力をしているのだと思う。それでも、もっと良い入学試験、学力試験のあり方があるのだと多くの人は信じている。実際、新方式の検討も議論されている。それでも今後の方向が見えてこない。それは入試の現場ではなく、トップマネジメントで果たされるべき仕事が果たされていないためであろうと小生は推測するのである。

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ただ難しい問題もある。韓国でもセンター試験類似の試験が行われているそうだが、それは高校で実施しているそうだ。日本でも、現行方式に代わる新方式として複数回実施方式が検討されているそうだ。試験は高校で行うことが議論されてもいるらしい。それが成案として固まっていかないのは、複数回受験の負担や高校側の心配があるというより、文部科学省に<高校不信>の気持ちがあるためではないか……。

確かに、いい大学に高校生を合格させたい、そう思っている高校にセンター試験に代わる学力試験をまかせてしまう。「そりゃ危ないわ」と、心配があるかもしれないという話も昨日の話題であった。

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14世紀のヨーロッパは人口激減の世紀を経験した。その原因はペスト禍である。ちょうど黒船到来後の江戸においてコロリ(=コレラ)が流行したのと同じように"Pax Mongolia"(モンゴルの平和)の下で国際貿易が拡大した13世紀にペスト菌が東から西に浸潤したのである。その100年間にヨーロッパ全体の人口は概ね半分に減少したというから凄まじい惨状である。

その凄まじい惨状のヨーロッパ、中でもペスト禍の中心であったイタリアではルネサンスへと成長する若い芽が顔をのぞかせ次第に花を開かせ始めたことを忘れるべきではない。


Duccio di Buoninsegn、Madonna and Child、1300年頃

しかしながら、新しい時代の到来を予言する新しい芽も、自分自身は老樹から生まれた古い世代であることには違いはない。新しいというその度合いは、人々の驚きを招くようなものではなく、若い芽とは言ってもその一つをとってみると小さな変化、小さな違いでしかない。人々の常識を絶するような新しさは、単なる突然変異であって、拒否と排除の対象にこそなれ、今日まで残る継承の対象にはならなかったはずだ。

小さな変化や小さな違いが何世代も積み重なることによって進歩となる。


Goch, Church at Auvers, 1890

14世紀の感性がゴッホの美意識にまで進むには数えきれないほどの世代を必要とした。実際、19世紀のゴッホが医師・南方仁のようにタイムスリップをして、近世ヨーロッパの世界で現代油彩画を制作していたとしても、その作品は当時の人々からは否定され-19世紀の人々にさえ排除されたのだから-笑いの的になり、それを大切に保管し後世に伝えようと努力する人間を得ることはできなかったろう。ゴッホは、19世紀においてはホンの少し時代に先駆けて新しい感性を持っていたからこそ、現時点まで作品が残ったのである。

だとすれば、大学入試センター試験で毎年付け加えられる小さな変更も、それが積み重なっていけば日本の高等教育を進化させる無数の歩みの中のほんの一歩だったと後になれば分かるのであろうか?愚息も社会で仕事をはじめ、個人的にはもうどうでもよいことではあるが、できればそうであってほしい。貴重な時間をただとられたわけではなかったのだと。そう考えることができれば嬉しいことだ。

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