2013年12月6日金曜日

国家機密とマスメディアの関係

北海道新聞は一面打ち抜きで

秘密保護法きょう成立

と掲げ、2面、3面とすべて与党の「特定秘密保護法案」で埋め尽くされているような案配だ。

世論猛反発、焦る首相
第三者機関 急ごしらえ

こんな刺激的なヘッドラインが目を射る。

あたかも中国・人民解放軍が尖閣諸島を急襲して、あの無人の岩礁を占拠し、五星紅旗を掲げ、付近には相当数の軍艦が集中されている。そんな風な大仰ぶりである。日中の限定戦争が真剣に懸念されるいま、仮に起こってもそれほどの衝撃的事件ではあるまいが、もし現実に起こるとしても新聞の扱いは今日の「特定秘密保護法案」とそれほど違わないのではないか。そう思ったりもするのだねえ。

ちょっと読んでみる。なになに・・・第三者機関による監察か。「身内」である官僚にするのか、民間人を登用するのかなどの課題は先送り。フ〜ム、ひょっとして、ジャーナリストとしては特定秘密候補にアクセスしておきたいわけなのか・・・ならば、ジャーナリストが自己の努力を尽くして情報源を探し、協力を自己の責任で引き出すという現在の取材方法よりは、よほど仕事が楽になるに違いない。こりゃあマスメディアとしては「監察機関」を設けろというだろう。しかし、これはマスコミ各社の利己主義ですな。正義とも、社会愛とも関係ない。

守秘義務の下に監察機関に参加した人がいるとして、その情報は国民に知らせるべきだと確信すれば、ルールを破って機密を漏えいするであろう。そして、漏えいは国民のために行ったことであるとマスメディアは全社をあげてアピールするであろう。そうした思想自体が全体として、公益を名分とした「スクープ」であり、企業であるマスメディアの販売拡大戦術であると小生は思うのだが、仮に純粋に社会正義のために漏えいを行うとしても、識別は不可能だ。そして「社会正義」といえ、それは当人の思い込みである場合も非常に多いのだ。

× × ×

究極のところ、政府を信じるか、民間の良識を信じるかに帰着する問題なのだ。

小生は、政府という組織は全体として非合理であり、知性などはないと考えている。だから政府は多数の私人によってモニターされねばならないし、私人の自由を制限する権限を政府に与えるべきではない。

しかし、国家機密の指定をモニターするとして、仮にその監察機関に民間の関係者が参加するとしても、参加するのは民間において強い影響力をもつ組織の代表者ないし当該分野の有識者であるのはほぼ確実であろう。そして、民間の代表者と政府の公務員と、いずれが広く国民に有害な影響を与えうるかといえば、小生は特別な地位を政府内に占める民間の関係者の方だと考えている。

なぜなら、そうした国家機密の監察業務に携わる人間は、もともとそうした分野に関心をもち携わってきた人であろうし、だとすれば真剣に取り組めば取り組むほど、自分の仕事にとってもプラスになるだろう。自分の仕事にとってプラスになる素材は、記憶し、覚書を整理し、何らかの形で自分自身の仕事の中で活用していきたいと考える誘因をもつ。最初は純粋の「監察業務」に参加することであったものが、次第に自分自身の仕事の成功につながる好機として国家機密にアクセスする私人が出現するのは、利益相反を形成し、国家にとっては不幸なことであるに違いない。このような状況に置かれる私人は、公務員とは相反して、機密には該当しないという情報ですら、仕事において競合する他者に対する優位性を築きたいがため、あえて機密にするべしと主張する動機をもつだろう。

たとえば裁判員制度を参考に、専門性などは考慮せず、国民全体を母集団として無作為に選ぶ人たちが国家機密の指定の妥当性を判断するのであれば、上記のような害はない。しかし、仮に特定秘密が妥当だと判断したときに、その判断に参加した私人に公務員に準じる守秘義務を課すことになるのだが、国家レベルの機密情報を漏えいせずに保持していけと命じるのは、無理ではないかと考えるのだ。

だから小生は、「特定秘密」なる機密を定義する以上は、その情報にアクセス可能な人間は「特定の少数者」であり、その少数者は国民全てに責任をもつ「公務員」でなければならない。これが当然のロジックだと思う。

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もちろんプロセスは文字に記録され、保存されなければならない。法案ではこの辺が曖昧なようだが、これこそ要点ではないか。保存された資料を整理し、そこから歴史的存在としての「時勢」を紡ぎだす仕事は訓練された歴史家のみが行いうる仕事だ。その結論が固まるには何十年かが必要だろうし、100年かかるかもしれないのだ。

そんな時間の中で解決して行くべき国家の意思決定は、現時点のマスメディア各社の「販売競争」とは切り離さなければならないし、ましてや個々の記者の「出世競争」とも金輪際無縁のことである。次元が違うというべきだ。

それにしてもマスメディアは、ときに「公務員」といい、ときに「官僚」という。言葉を戦略的に使い分けているようだ。どちらか、あるいは両方が常に偏りをもって使われている可能性が高い。

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