2013年12月5日木曜日

特定秘密保護法案について

衆議院で可決後、参議院に送付された「特定秘密保護法案」は、近日内に国家安全保障特別委員会で採決、そのあと本会議に上程される見込みになった。民主党以下、野党は与党(自民・公明)の強引な運営に反発しているので、このままでは野党欠席のまま強行採決になろう。安倍内閣は、第一次もそうだったが、強引な傾向がある。

国家機密について世界の現実を整理すると、結局はアメリカのように "Top Secret"、 "Secret"、"Confidential"のように区分し、機密レベルが上がるほどに厳重に保護するという体制、あるいは中国のように原則全ては秘密にする。この二つの間のいずれかの中間点を選ぶ事に帰着する。

小生は、何から何まで – 非公式なその場限りの、それでも重要な雑談、お喋りなども含めて – 全てを国民、取材記者に対してオープンにすることは不可能である以上、国家の運営に関する事は可能な限り文章で記録し、文章を保存し、100年程度の時間をかけて専門家である歴史家が資料を編纂して行く体制が「好き」である。その時々に国民が断片的な情報を入手したところで社会の意思決定が混乱するだけであり、マイナスの方が大きいと思う。ただこれではいくらへそ曲がりの小生であっても独裁政府のようであるように感じる。

要点は、機密情報保護体制の国際標準化だと言えよう。まずは情報の取引相手となるアメリカ、イギリスの秘密保護体制、更には歴史のある大陸欧州諸国の国家機密の取り扱いをなぜマスメディアは紹介しないのだろう。日本の今回の秘密保護法案を、それだけをピックアップして戦前の日本に逆戻りだと絶叫するだけでは、まるで明治維新後の自由民権運動を連想させるだけであって、まったく説得力をもたない。

政治に関する事はすべて<選択>である以上、単なる主張ではなく、現実に与えられている選択肢の一長一短を議論するプロセスがあってしかるべきだ。

マスメディアが、自社の利益を重視して望ましい方向を主張するのであれば、それは独占的な地位を利用して社会を望む方向に持っていこうとする行動と同じであり、それ自体が政治である。その手段に自社の新聞、TVなどを使えば、金権政治と本質的に変わりはない。

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