2013年12月22日日曜日

日曜日の話し ー 近現代日本の20年周期説

明治維新後の近現代日本には大体20年前後の循環成分が混じっているのではないかと大分以前から思っている。

先日も別宮暖朗氏の『帝国陸軍の栄光と転落』(文春新書)で日中戦争の解釈ーむしろドイツ軍事顧問ファルケンハウゼンの構想を採用した蒋介石側のイニシアチブで開始された戦争であり、目的は日本軍を上海外周部のゼークト線に誘導し、攻撃を余儀なくさせ、そこで無視できないほどの犠牲を日本に与え、それによって当時日本の支配下にあった満州を奪還することにあったーを読んでいるときに、戦前期日本の政治経済の発展の循環変動を改めて思い出したのだ。

戦前期の日本経済のピークは昭和9〜11年(1934〜36年)であることはよく引き合いに出される。日中戦争開始が1937年だからその前年でもある。その頃、軍部と一部の革新官僚が結託して、統制経済システムの導入によって資本主義経済を改革しようと志していたことは周知であるし、つまりは社会主義に傾倒している清心な若手世代に見えた彼らが、一方では自由主義は黴臭い時代遅れの思想と馬鹿にしつつ、結果としては帝国日本を崩壊に導いたわけで、日本全体が迷走しはじめる分岐点。それが1934〜36年という時期で、その意味では歴史上極めて重要なのだ。

その一時代昔を20年前に置けば1914〜16年で、第一次大戦が欧州で始まり、世は「大正デモクラシー」、権威主義的であった明治から民衆が政治に参加し始めた頃になる。更に、その20年前の1894〜96年には、明治日本が制度的に曲がりなりにも完成の域に達し、自信を深めた日本は対中国外交問題を解決する手段として戦争をとっている。日清戦争である。その20年前は1874〜76年。明治維新直後、西南戦争直前。明治6年の政変で西郷隆盛が政府を辞め、大久保利通による富国強兵が推進された時期にあたる。

ついでにもう一度20年遡ると1854年。黒船来航の翌年となる。
このように歴史の節目は大体20年周期でやってくるように思われる。

逆方向に20年ずつ区切って行くと、1934〜36年の次は54〜56年。既に戦争は敗戦となり戦後の復興を経て「もはや戦後ではない」、そう書いたのが56年の経済白書である。それから20年経つと1974〜76年、高度成長は73年の第一次石油危機とともに終わった。次は、1994〜96年。戦後日本経済を支えてきた護送船団方式が崩壊し始める時期であり、北海道拓殖銀行が経営破綻したのは1997年。翌98年には日本長期信用銀行が実質倒産、国有化された。それから更に20年で2014年、つまり来年になる。失われた20年の終焉。デフレ時代の終息。うまくそうなれば、やはり20年というサイクルに沿っていたことになろう。

日本の近現代をつらぬく循環波動に20年サイクルがあるとすれば、今年、来年、再来年は重要な節目の年にあたる。そう言える気もするのだな。


藤島武二、佃島雪
出所:浮世絵検索

上の作品だが絵師・藤島武二とある。藤島武二というと大正を中心に活躍した著名な洋画家を連想するが、まさか藤島武二が版画もつくっていたのかと吃驚したが、藤島の日本画はほとんどないそうで、上の作品の絵師は同姓同名であるのだろうと思う。しかし、”版画 藤島武二”ではGoogleで検索できず、本当は誰が上の作品を制作したのか不明である。浅野竹二という版画家はいる。が、上の作品の落款もぼやけていてよく分からない。画風も少し違うようである。1940年頃から版画を制作し始めたということだが平成の世まで長生きしている。初期の頃には名所絵図を制作していたようである。共産党機関紙「赤旗」の印刷に協力して拘置所に入ったかと思うと、そこで検事と生涯の親友になっているようだ。浅野竹二という人は知らなかったが、相当面白い人物であったと見える。

ともかく、上の佃島を誰が描いたのかよく分からない。どちらにしても絵のような佃島風景があったのは随分昔のことである。





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