2013年12月16日月曜日

覚え書 ― 日中関係のヘーゲル的弁証法は?

日本がテーゼであり、中国がアンチ・テーゼかもしれないし、中国がテーゼで日本がアンチ・テーゼかもしれない。いずれでもよいが、この矛盾を止揚するジン・テーゼが必要だ。中国の建国理念にもなっているマルクス哲学でもこんな弁証法的議論をするはずだ。

昔なら社会主義こそ資本主義の矛盾を止揚する「次なる社会」と言われたものだが、冷戦の終焉以降、そんな戯言を言う人はいなくなった。実際、中国経済のコア部分はもはや資本主義であり、中国という国全体が国家独占資本主義だと言っていいかもしれない。日中いずれが歴史の「前衛」かという議論は意味がない。

いずれかが正しいと考える真偽のロジックではなく、両方を超越するロジックがいる。

同じことが、アメリカ、豪州などアングロサクソン陣営の「独立と自由」、「序列を秩序」とする中華理念についてもいえる。どちらかが正当と考えるのでは今後はダメかもしれない……ダメだろうなあ。歴史を通して、ずっと西と東が異文化社会のまま並立してきて、150年ほどの間、西に文化的重心が移動したが、結局、元の状態に戻りはじめている。当たり前の長期均衡状態に復元しつつあるだけのことかもしれないのだ。


とはいえ、今月の月刊誌"Voice"の特集は『中国の余命』だ。革命前夜という認識であるが、それは同感だ。小生はひそかに次なる中国で本格的発展を遂げて行くと思っている。

それにしても本日の道新には陸上自衛隊の諜報機関「別班」の存在が報道されている。戦前の陸軍中野学校を継承する組織である。加えて、その存在は首相も防衛省も知らず、部内限りの組織として最近はロシア、韓国、ポーランドで活動していると書かれているーこれもおそらく偽情報だろうが。記事は全体として「文民統制」を無視する活動と非難している。

確かに上意下達という命令系統から判断すれば「逸脱行為」になろうが、諜報活動それ自体は「お互い様」なのだ。というより、互いにライバルの状況や意図を探ろうとする諜報合戦は、それ自体ライバルに関する知識を増やすことになるので、紛争の深刻化を予防する政治ツールとなる。『怖いのは無知である。それは相手に攻撃を選ばせるからである』というのが基本ロジックである。

日中、そして米中関係の将来には不確実性がともなうが、このゲームは生き残りとは違うし、タカハト・ゲームでもない。かといって互いに同調の利益を認めるデート・ゲームでもない。互いに相手を好きにはなれないが、それでもハト・ハトで並立するしかない、タカ・ハトのハトより、ハト・ハトのハトがまだマシである。敢えてタカになろうとギャンブルをしかけるより、並立状況を続ける方を選ぶ。そんな世界状況が続くのではないだろうか。そうしている内に、今月号の"Voice"の見方が的中するのではないか。こんな風に思っている。


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