2013年8月6日火曜日

これも「確実ナノガ好キ症候群」の症状か?

担当している統計分析の授業のサンプルデータに食器乾燥機の販売データを使った。上田太一郎編著『データマイニングの極意』に掲載されているデータだ。発売前アンケート結果と各機種・食器乾燥機の初月販売数を表にまとめている。

調査項目の中に「価格が安いかどうか」がある。価格設定は戦略の基本であり、ビジネス・エコノミクスでは攻撃的安値戦略をとるときに留意するべきこと、相手に安値戦略をとられたときの対抗策が主な話題の一つになっている。

価格が安ければ、相手から顧客を奪取できる。だから、もしもY変量に販売数量をとり、X変量の一つに価格を含めれば、価格の回帰係数は負値になるのが当然である。価格を上げれば販売数量は減るのがロジックだから。

ところが一番上に紹介したサンプルデータでは、そうはならない。「これはおかしい!」と、多くの人は「理解できない」、「データがおかしいのじゃないか」等々、得られた分析結果に対して様々のネガティブな態度を示す。ここが、小生、すごく楽しいというか、興味深いというか、ああ、ビジネス現場でデータをどう活用しているか、活用できているか、その一面を見る思いがするのだ。一口に言えば、予想通りのデータが集まってきて安心する、それだけの目的で数字を見ている人が多いのじゃないか?データが予想とは違ったときには、途方に暮れる、一体これをどう解釈すればいいのかと。

一番取り扱いが難しいのは「予想通りのデータ」、即ち「有意でないデータ」であることは、少し統計学を学んだ人なら何度も聞いているはずだ。予想とは違うデータが得られれば、正にその時こそ常識の誤り、見逃していた落とし穴を確認できる。おかしいデータこそが、ウェルカムなのだ。これがあらゆる統計分析における鉄則である。

本来は、安値は販売を拡大する方向で働くはずだ。ところが、食器乾燥期のサンプルデータでは「安い」ことが売れ行きに直結しない。これはなぜか?販売現場の経験を積んでいる人なら、こんな理屈に合わない結果を得たとき、「なるほど」と。背後に隠れている物事の真相に目線が届くはずなのだ、な。「安い」ということでは売れない。そんな消費者の行動がむしろ理にかなっている。こんな考察のきっかけになる。理論は誰かがつくった「語り」だが、データは「現実」である。理論が否定されることは頻繁にあるが、現実はそれを認めるしか道はない。真に合理的であるのは、常に「現実」の方なのだ。「理論」が正しい保証はない。

幸いにして小生のクラスでは下のようなやりとりはなかった― ほかではこんな会話があるかも。
「価格」の回帰係数がマイナスになっていない所が面白いですね。
これはデータがおかしいのじゃないですか?
データを疑いだしたら、<理屈ありき>で物事をみてしまいますよ。
では価格を下げることは販売を増やすのですか、減らすのですか、どちらですか?
販売現場に応じてケース・バイ・ケースなんじゃないですか?
エッ???
理論やロジックには必ず暗黙の想定がおかれているものです。こうすればこうなると、無条件には言えないものです。データ分析は、実際はどうなのか、そこを検証するのですね。予想や常識と違うデータは、事故を予知してくれる警報のようなものです。
価格を下げさえすれば販売は増える。これは<確か>なんだが最後の手段だ、と……確実に言い切ってしまいたいことは、沢山ある。会議の席上で『おそらく今後はこうなる可能性が高いので…』と言うと、おそらくじゃダメだよ。可能性なんて言っているようじゃ検討が足りん。そんな風に言われることは多い。『こういう方策をとれば、どんな結果になるとされているのか?』、正解を知っておきたい、そういうことではないか。しかし、価格を下げても販売が増えるとは限るまい。<確か>ではないのだ、<正解>ではないのだ。

これまで<確実な議論をしましょうよ症候群>と呼んできた行動特性は、ひょっとすると<正解を知っておきたい症候群>でもあり、この二つの根本原因は同じであるような気がする。それは即ち<失敗をする余裕はない>という守りの意識である。実は、しかし、失敗をする余裕はないと思い始める時こそ、失敗への始まりなのだと小生は思うのだな。

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