2013年8月25日日曜日

日曜日の話し(8/25)

何も思い浮かばない時はカンディンスキーでも観ることが多い。


Kandinsky, Improvisation6 (African), 1909

犬も歩けば棒に当たる式で探していると上の作品を確認した。何の目的もなくパラパラとページをめくっている内に思い出したことがある。父と母が元気な頃、小生は目黒駅から恵比寿方向に歩いて15分程の所に家族と暮らしていたことがある。自室は二階の六畳部屋であり、窓を開けるとサッポロビールの恵比寿工場が見えた。夕方になると童謡「カラスの子」のメロディーで時を知らせるサイレンが流れる。そんな場所だった。その頃、就寝前の儀式のようになっていたのは、父から下げ渡され自分の本棚に持ち込んでいた古い「日本百科大事典」(全13巻)からランダムに一冊を取り出して、パラパラと何かを検索するでもなく、面白そうな解説を眠くなるまで読むことであった。百科事典だから五十音順で項目が並んでいるのだが、小生の贔屓は「す〜ち」―だったと記憶しているが― の巻だった。その頃、小生は高校生であり色々なことをしていたはずなのだが、既に病気がちであった父を心配する母の表情とサイレンが奏でる「カラスの子」、そして毎晩手に取った百科事典は、妙に生々しく覚えているのだ。

それにしても上の作品は同年代のドイツ表現派マッケの作品のようでもある。そのマッケは下のカンディンスキーのような作品を遺している。


Macke, Russian Ballet

二人の生身の身体はとっくの昔に消え去り、生前の記憶や交わした会話はたどりようもなく、今後将来の世界の進展にとってそれらはどうでもよいわけであるが、少なくとも生きている間、二人の芸術家にとって頭の中の記憶はとても大切であったに違いない。絵画作品は、自分の命とともに消えるはずの記憶を、時の流れの上に刻んだものである。そんな風に感じることが多い。町で買った古本のあるページにブルーのインクで書かれた文字をみるとき似たような感覚を覚えることがある。

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