2013年7月9日火曜日

新興国ブームの終焉?

BRICS(=ブラジル、ロシア、インド、中国)の黄金時代もすっかり色あせて、いまはせいぜいがプラチナ時代となった感がある。

本日の日本経済新聞にも次のように語られている。
 「BRICs」という言葉を見聞きする機会がめっきり減ったように思う。ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を組み合わせた略称で、一時は毎日のようにメディアに踊っていた。存在感が薄れつつあるのは、命名者の米運用会社会長が引退したから、という理由だけではないだろう。そこにはBRICsに代表される新興国が世界経済のけん引役から、リスクに変質してしまったという現実がある。 
(中略) 
米国経済が弱ってもBRICsを筆頭に新興国の経済は影響を受けない。そんな「デカップリング論」がもてはやされたのは、リーマン・ショックが起きた2008年のことだ。それから約5年が経過した今は、BRICsがふるわない中で米国が世界経済の下支え役となる「逆デカップリング」(7月4日の日経夕刊コラム『十字路』)の状態だ。 
(中略) 
4カ国の経済はそれぞれに問題を抱える。例えば中国はシャドーバンキング(闇の銀行)を通じてインフラや不動産に資金が流れ込んだ結果、大規模な設備余剰の問題が生じた。今後は投資の大幅な減少が予想されるが、「中国で固定資本への投資が40%減ればGDPは20%減少するだろう」(フィナンシャル・タイムズ)といった指摘もある。誰だって株式市場からマネーを引き上げたくなる。
(出所)日本経済新聞、7月9日
固定資本形成が40%減ならGDP全体が20%減となる。ということは、総需要全体に占める投資比率が50%に達しているわけだ。固定投資の寄与度は
GDPへの寄与度=固定投資の構成比×固定投資の伸び率
である。


日本の総固定資本形成(官+民)の対GDP比は、2001年に23%、2011年に21%。日本の固定投資が40%減少しても、GDPへの寄与度は8%にしかならない。

そもそも日本の固定資本形成は減るところまで減っているはずだ。国内の生産基盤を拡大すれば、生産能力が拡大するので、その分、国内で販売するか、海外に輸出するかしなければならない。日本は、産業構造が遅々として進化しないから、高齢化が進む社会で以前と同じビジネスをする企業が多い。国内では利用価値のない生産施設が残っていた。なので商品を海外で乱売する。新興国との競争は熾烈だ。だから円安を求める。国内では賃金をカットする誘因が出てくる。賃金がカットされるから国内でもなお一層のこと安値競争が進む。すると意に反して円高になる。

悪循環に落ちるわけだが、20年のデフレも、根本的原因は『進まない産業構造転換』であることは、もはや全てのエコノミストが合意しているはずだ。ま、経済産業省と厚生労働省の責任が大きいのだ、な。意見の違いは、ではどうするかという治療策である。

× × ×

まあ話しはさておいて、新興国がいまやリスクであるとは…、リーマン危機後の「デ・カップリング論」が転じて、アメリカが機関車。「逆デ・カップリング現象」が顕著になるとは…、一体、2009年初めに誰が想像したであろうか?

これも<バブル崩壊への臨床的治療法>がマクロ経済政策領域で確立されてきたことの証拠なのだろう。

とすれば、「もはやバブルは怖くない」。日本の1990年代とは違って、これからは金融バブルが崩壊したとしてもすぐに治せる…、本当にそうなら、バブルでも何でもいいから、とにかく経済を早く回復させてよ、と。そんな圧力に政府は抗しきれなくなるのではないだろうか。

国民は、結局はインフレを願望するものだ。オールド・マルクシストとして著名な大内兵衛氏の自伝『経済学五十年』を読むと、大内博士のケインズ評が出てくる。覚え書きとして引用しておこう。
何しろアメリカという国はチャップリンを王様にする国だから、ケインズもアメリカでは革命家になるのだろう。彼は確かにイギリスの貴族だ。彼はイギリスの坊さんマルサスによって、需要が生産を規定すると考えた。第一これからが変だが、作った品物は何でも人間にとって大切であり、人は不用のものを作るはずがないのであるから、それを作るための資本が過剰などということはない、それが過剰なら、政府がその品物を買って使えばいい、それで停滞した資本は動くのであり、資本が動けば商品は売れるのである。だから、仮に一時、買う金がないという変調が見えたら、そのときは、一時、紙幣を出してやっておけばよいというのだ。その先はその先だ、というのだ。こうして彼によればインフレーションがくり返して政策の中心となる。 
いわば一種の国家金融資本主義である。しかし、これを目的の方からいえば完全雇用であるから、これを一種の国家社会政策であるといっても間違いではない。イギリス、アメリカでこのような政策が重要になったことがすなわち『ケインズ革命』である。ケインズの思想的表現に従えば、それは『レーセ・フェアの終焉』である。
(出所)大内兵衛『経済学五十年』、467‐468頁 
ことマクロ経済政策については、思想革命はあっても、技術進歩はない。そんな考察もありうるような気もするのだが、それでもバブル治療が体系化されてきたことは何よりではないか。

 

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