2013年5月21日火曜日

もう一回だけ引っ張ろう ― 橋下徹大阪市長の発言騒動のその後

橋下徹大阪市長の慰安婦論争はまだ当人が降りそうもない。頑張っている。安倍総理は、右翼勢力にかなり同調的な発言を何度かしたところ、英紙から”危険なナショナリスト”呼ばわりをされたものだから、慎重に一歩後退をした模様だが、橋下市長は引けば負けと観念しているのか、頑固である。

今日はこんな文章が出ている。
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は20日夜、堺市内での大阪維新の会のパーティーであいさつし、戦時中の旧日本軍慰安婦問題に関連して「日本も悪かった。戦場の性の問題として女性を利用していたのは間違いない。その代わりアメリカだってイギリスだってドイツだってフランスだって、もっと言えば第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍だって、みんな戦場の性の問題として女性を利用していたんじゃないんですか」「日本も悪かったけど、あなたがた、過去を直視しなさいよと言うのが日本の政治家だと思っている」と持論を展開した。(出所)朝日新聞デジタル、5月21日(火)0時36分配信
 女性の人権を踏みにじる行為も問題だが、それよりは銃弾を打ち合って人の命を奪う行為は殺人であり、よほどの理由がない限り、もっと許されないのではないか。<国家行為>と見なされるからやっとのことで敵兵の殺害が許されているのであって、<私人の行為>として人を殺害する行為は、たとえ敵討ちでも復讐であっても罪である。これは時代と国を問わない。

橋下市長の思考回路を少し拡張すれば、『戦時中、多くの日本兵が銃弾で死んだが、たしかにそれは連合国側から見れば正義だったのだろう。しかし、日本側からみれば米兵による日本兵の殺害でしかなかった。日本が隣国を侵略したと言うなら言ってもいいが、、連合国も日本にずいぶんなことをしたではないか。そんな過去を直視しなさいよと言うのが日本の政治家だと思っている』。こういう言い分になるのではないか?

確かに<喧嘩両成敗>が日本人は好きだが、世界史の中では<勝者が正義>である。懐疑主義者になるのもいいが、戦争の勝者が国際社会の構造を打ち立てる以上は、これを否定しちゃあ、国として苦しくなる。いやまてよ、敗北のコストはなにもカネだけではなく名誉や栄光の喪失もそうだ。衣食足りたいま、現在の日本は失った名誉があまりに巨大であったと感じているのかもしれない。それはもう取り戻せないものなのか?敗北の費用が許容不能なほど大きいと気がつけば、もう一度勝者になって失ったものを取り戻そうとする動機が敗者の側に形成されるかもしれない。旧・敗戦国はもう嫌だ、一等国の夢よもう一度、というわけだ。しかし、こんな心理は序列化思考そのものであって、世界を幸福にする思考回路とは違うはずだ。

「もはや戦後ではない」と日本は1955年には宣言したものだが、その頃、中国や韓国はとても「戦後ではない」と言える状況ではなかった。歴史認識には日本と隣国でもともと位相差があるのだ。今は21世紀であって、第二次世界大戦から68年が経ったが、それでもまだ「戦後」は続いている。そう認識しても、日本の損になることばかりじゃないだろう。戦後のツケはまだすべて清算されきっていない。そんなことまで感じさせる最近の騒動ではないか。

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