2013年2月16日土曜日

カネより名誉という国民性・・・昔から分かっていたのか

日本人は、損得勘定をホンネでは嫌がり、名誉をほしがるものであるというのは、いま5千円札になっている新渡戸稲造も気がついていたようだ。

というのは、今日は一通り最大の難物科目の成績作業が一段落したので、なにげに手元のiPadから青空文庫をパラパラと読んでいたのだ。新渡戸稲造は教育関係の小品をいくつか著している。まあ、役人でもあったが大学教授としても仕事をした人だから、独自の教育論があってもおかしくない。

新渡戸が書いた『教育の目的』にはこんな下りがある。
一体子供はほめられる方へ行きたい者である。 小さい奴は銭勘定で動くものでない。日本人は賞められるのを最も重く思うことは、日本古来の書物を読んでも分る。日本人と西洋人との区別はその点に在るので、日本人は悪くいえばオダテの利く人間である、良くいえば非常に名誉心の強い人間である。 
譬えば日本の子供に対しては、このコップを見せて、「お前がこのコップをもてあそんではならぬ、もしあやまって壊したら、人に笑われるぞ」というのであるが、西洋の子供に対してはそうでない。七、八歳あるいは十歳くらいの子供に対して、「このコップは一個二十銭だ、もしもお前がこのコップを弄んで壊したら、二十銭を償わねばならぬ、損だぞ」というと、その子供はそうかなと思って手を触れない。日本の子供には損得の問題をいっても、中々頭にはいるものでない。ことにお武士さんの血統を引いている人たちはそうだ。「損だぞ。」「そんならやってしまえ」といって、ポーンとこわしてしまう。それで日本人の子供に向って、「このコップは他人から委ねられた品物だ、一旦他人から保管を頼まれたコップを壊すというのは、実に恥かしい次第だ、大切にしておけ」とこういうのもよいが、それよりは「お前がそんな事をすると、あのおじさんに笑われるぞ」というと直ぐにやめてしまう。 
人に笑われるほど恐ろしいものはないというのが、今日のところでは日本人の一つの天性だ。日本では名誉心――栄誉心が一番に尊い。
「おやっ、お前、いま笑ったな?」という台詞は、喧嘩を吹っ掛けるときの常套文句として、今なお通用している。

嗤われるというのは『おい、なめるなよ』という意味合いであり、言い換えれば<メンツ>の問題なのだ、な。 メンツと言えば、紛争になっている ― 公式には紛争にはなっていないわけであり、それを紛争と書けば、これ自体が戦前期日本政府であれば摘発対象になるのであろうが ― 尖閣諸島も、日本と中国のメンツの問題になっていると解釈してよいだろう。

ずいぶん古くなったが、昨年の夏、英誌The Economistが次のように論評していた。
That, thank goodness, is grotesque hyperbole: the government in Beijing is belatedly trying to play down the dispute, aware of the economic interests in keeping the peace. Which all sounds very rational, until you consider history—especially the parallel between China’s rise and that of imperial Germany over a century ago. Back then nobody in Europe had an economic interest in conflict; but Germany felt that the world was too slow to accommodate its growing power, and crude, irrational passions like nationalism took hold. China is re-emerging after what it sees as 150 years of humiliation, surrounded by anxious neighbours, many of them allied to America. In that context, disputes about clumps of rock could become as significant as the assassination of an archduke.……The islands matter, therefore, less because of fishing, oil or gas than as counters in the high-stakes game for Asia’s future. Every incident, however small, risks setting a precedent. Japan, Vietnam and the Philippines fear that if they make concessions, China will sense weakness and prepare the next demand. China fears that if it fails to press its case, America and others will conclude that they are free to scheme against it. 
Source:  The Economist, Sep 22nd, 2012
第一次世界大戦の直接のきっかけは、サラエボ事件、つまりオーストリア皇太子フェルディナンドが セルビアの一青年によって暗殺されたことだった。とまあ、こう言ってしまうと、『いくら王族であれ、一人殺されたからといって、国の命運をかけた戦争をはじめるかい!?』と。これが理性ある、常識的な判断だろうが、おこちゃったんだよね、戦争が。そして欧州という大きな世界が、戦後に崩壊したわけである。The Economistは、この偶発的なサラエボ事件と、経済的には取るに足りぬ小島「尖閣諸島」を並べて議論しているわけだ。

上の引用にある下り、"The islands matte less because of fishing, oil or gas than as counters in the high-stakes game for Asia’s future." というのは、石油でもガスでも漁業でもなく、ここで引いちゃあ未来がない、メンツがかかっているんだ、と。まさにそういうことを言おうとしている。イギリスから見ていても、損得で争っているのじゃないのは、よく分かるようだ。

しかし、最後は、損得計算の土俵でそろばんをはじくしかないだろう。The Economistは、こう結んでいる。中国が脅威とならないことを、中国に対して望む立場だな。
What better way for China to show that it is sincere about its peaceful rise than to take the lead?
確かに、対等な国家間の平和的秩序の構築が、物事の本質なのであるが、ヨーロッパ的な国家間秩序と伝統的な<中華秩序>とは、どこか核心的部分で思想的な違いがあるのではなかろうか?中国が理想とする秩序と、ウェストファリア条約以降の西洋世界が実現しようとしている秩序は、違うのじゃないか?中国は西洋的秩序を理解するポジションに立とうとは考えていないのじゃあないか?

ま、別に中国異質論にまでここで踏み込むつもりはない ― 踏み込むなら、日本だって相当異質であると思うし ― それはないのだが、上で言ったそんな疑いも否定できない今日この頃なのだ、な。であるなら、利益うんぬんというよりも、メンツが立つかどうかを考えるということか。いや、メンツも利益もともに、ということだろう。

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