2013年1月9日水曜日

ヨイトマケの愛で国を救えるか?

昨年末の紅白歌合戦で美輪明宏がうたった「ヨイトマケの唄」が評判になっているそうだ。昨日だったか、今日だったか某局のTVワイドショーで、なぜあの唄が人々の心に訴えかけるのかが話題になっていた。

唄は、昭和41年に美輪が自ら作詞作曲したもので、ヨイトマケ(=日雇いの肉体労働者)が力仕事をするときの掛け声に歌われたと言う。昭和41年といえば、東京オリンピックが2年前に既に開催されていたし、先進国クラブと言われるOECDにも東京五輪と同じ1964年には加入していた。とはいえ、その頃はまだ日本のGDPや生活水準は低い水準であり、女性も食べていくためには肉体労働を引き受けなければならなかった。そんな時代だ。下図の一人当たりGDPをみても日本は、当時やっとOECDに加入できるまでになったことがハッキリしている。だから

とおちゃんのためなら、エ~ンヤコーラア

この歌詞は、まだまだそのまま当時の風景をよく映し出しているというわけだ。



ワイドショーでは美輪本人が画面に登場して、この唄を作ろうと思ったきっかけや動機を話していた。衆人環視の中で誰が何といおうと自分の子だけは可愛がろうとする母が、そのとき紙をもっていなかったのか、鼻水をたらしていた子に口をつけて、この鼻水をズズーッと吸い取ってあげた姿を思わず見入ってしまった、そう語ってもいた。親子の愛だけは時代が変わっても、国が変わっても普遍的なものである。そういう話しであり、いまヨイトマケの唄が心に響くのも、多くの人がそんな愛を求めているからだろうと、まあいかにもワイドショー的なまとめ方をしていた。

× × ×

いくらへそ曲がりの小生でも、これが駄目だなどという気持ちは毛頭ない。家族の愛情ほど美しいものはないし、家族を愛する心は人間社会の出発点になるものだと小生も思っている。

しかし、母と子の愛情、夫婦の愛情、子が親に抱く愛情、血の繋がりに温もりを感じるような愛情は、更には友情、同志愛などもそうだが、すべて愛する人間と他の人間を区別する愛である。よく<親疎>というではないか。愛は周囲の人間それぞれに異なった距離を感じさせるのだ。一人の人間が、最も深い愛情を感じうる対象は、人数にしてせいぜい10人を出るか出ないかという所だろう。少なくとも100人や1000人の人を、同時に同じように等しく、家族と同じように愛する能力は、人間は持ちえないとも思う。ところが、日本には概ね1億人の人たちが現に生きて暮らしている。その人たちの暮らしぶりを見ると、豊かな人も、貧しい人も、あまりにも多様である。愛は空虚であり、無常であるのが現実だ。

すべての人たちに等しく愛をもつことは国の指導者にとって大事なことだと言う人がいるかもしれない。しかし、指導者が国民を愛するという意味の愛は、母が子を思う愛とは本質が違う。美しいが差別的な愛は器が小さくて、1億人の国民をそれで掬い取ることは不可能なのだ、な。小生は、駆け出しのころに公務員をやったことがあるが、自分は公務員に向いていないと思ったのは、赤の他人に愛情を持てなかったからだ。<公僕>という定義から自動的に<愛情>は出ては来ぬ。

伝統的な帝王学では、母の愛とは別の愛、器の大きい愛を定義して<仁>と呼んだ。仏教だと大乗仏教の視点。キリスト教では神が人類に対してもつ広大な愛をおき、現実は神の意図の現れとみる。その広大な愛を知性で理解することは、全ての人間を等しく愛する博愛を知ることにつながる。自分にはその感性が全くないというか、皆無であるという自覚があったのだな。

× × ×

しかし今は若いころとは考えが変わった。

そもそも日本の中央・地方の官僚は、いかなる心構えで日々の業務に向き合えばいいのだろう。政治家も国民全体に奉仕する公務員だと規定されている。では、政治家はいかなるスピリット、いかなる魂をもって、全ての国民と向き合えばいいのだろう。国民全体に対する愛を心の中にもつべきなのか?それとも愛とは無関係の専門技術を提供するためか?

美ではないかもしれないが、善なる心があればいいのか、結果が大事なのか。

六代将軍・徳川家宣は、先代から引き継いだ天才的な勘定奉行・荻原重秀の反モラル的人格を弾劾する新井白石に対し、『才ある者は徳がうすく、徳ある者は才がうすい』と言って、白石を抑え、荻原を使い続けた - 武士道全盛の旧幕時代であったのに、善なる心一点張りではどうにもならんわけだ。

もし官僚が公僕であり、国民が主であるのなら、国民の方が将軍・家宣の目線に近い感覚を持つことが大事だろう。




0 件のコメント: