2012年12月31日月曜日

覚え書 − 軍国主義の遠因は大正デモクラシーかも

昭和ブームであるとは、つとに聞いているが、大正時代もまたこのところ見直されているらしい。

明治時代がどうこれから再評価されるのかは、これは微妙だと思うが、確かに大正文化は素晴らしい。黒田清輝は画壇の支配者というイメージを感じるが、岸田劉生や萬鉄五郎からは自由を感じる。その自由とは、人間の自由・あらゆる因習や伝統からの人間の解放を指しているから、必然的に人間肯定へ通じ、自由意志の尊重、その結果として罪の意識、美しい倫理観が前面に出てくる。人間の知性と道徳によって、人間がこの社会を統御する − 統制ではなく、統御というところがミソである − それができると考える点に<大正理想主義>の魅力も問題点もある。

その前、というより反対側の立場には<自然主義>があった。日本で自然主義文学というと実に暗い印象があるが、発祥の地である19世紀フランスにおいても自然主義文学を担ったゾラやフローベールなど、不道徳や悪習に染まる人間をむしろ肯定するような側面があり、よく言えば社会をありのままに描写する、悪く言えば開き直っている精神があって、『なにが自然じゃ、不自然そのものじゃないか」、小生若い頃にはそう感じたものだった。

しかし歳をとってくると感じ方が、正反対になるのだ、な。「これは不自然だ」という捉え方は、「これは治すべきだ」という目線に必然的につながり、この目線に青春特有の潔癖な倫理意識が混じると、社会の悪を矯正し、あるべき社会を実現するという姿勢が出てくる。東大の学生団体である新人会が結成されたのは大正10(1921)年であるが、後に左翼思想の揺籃となったこの組織も、誕生は人間肯定、社会改良を望む善意からだったと言えるだろう。つまり理想主義である。大正文化は本質的に青春の謳歌に似ている。成熟した老人の感性とは違っている。

反対に、自然主義的な思想は、理想を排している。ありのままの現実に美を認め、貧困や悪習に神の意図を見る。だから現実を淡々と描写する写実主義をとる。現実に神的性質をみる思想から理想の追求は出てはこず、主観的な未来ではなく、現に存在する「今」をみる。開き直ったパワーポリティックスを展開することはあっても、王道楽土を追い求める拡張主義的積極外交がとられるロジックは出てはこないのだな。

現実世界に神を見ないのなら、「神の意図」にかわる最高善をおかないと不安で仕方がないはずだ。その最高善なる価値は、通常、<民意=民主主義>もしくは<国家・伝統>が置かれる。そこで理想が語られる。今日よりは明日、明日よりは未来、そんな生き方がとられる。現実世界が矛盾にみちている場合、多神教に沿えば矛盾は神々の争いと解されるだろうし、唯一神が仮定されるなら「神の意志は広大にして人間の理性にはとらえ難い」とされる。「貧しきものは幸いなり」、もしくは「人間本来無一物」、「因果応報」と言っても可であろう。これが人間中心の理想主義からみると、あらゆる社会問題は自分たちの努力不足として理解される。

思うのだが、昭和前期の日本軍国主義の源には、明治から大正にかけて花開いた日本人の人間肯定と理想主義があったのじゃないかと。革命を求めるマルクス主義が日本に根付いたのも、革命ではなくて福祉国家の理念をとる修正資本主義も、国家が責任をもって理想社会を実現するという逆説的な統制主義も、その当時登場した新思想はどれも「社会を改良したい」という善意に土台があったのじゃないか。もしも明治後半の自然主義的人生観がそのまま日本人の心の柱であったら、昭和になってから近衛文麿の新体制運動や国家総動員体制が受け入れられることはなかったろうと。そう思うようになった。ま、その自然主義思想も一部知識人による輸入文化であったから、もともと地に足がついておらず、腰が定まった世界観とは到底言えなかったのであろうが。

これがいま立っている地点なので、理想主義的デモクラシーは世界のバランスオブパワーにとっては、極めて危険な因子じゃないかと、これが小生の基本的見方であります。しかしながら、より一層高齢化していく日本や中国、韓国において、そんな老人世界で理想主義はまず採られるはずがない。方向としては、歴史哲学や社会倫理などとは関係のない、ありのままのリアリズムが原理原則になってアジアの国際社会ができてくるのじゃないか。この点では楽観的である。以上、覚え書きとして記しておこう。

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