2012年10月4日木曜日

定住(Settlement)から多住(Multi-Dwelling)の時代

人には故郷がある。文明の発展、国境の消失の中で、人はどこへでも安く移動できるようになった。仕事はどこにでもある時代であり、一生をどの町で過ごすのか予想もつかない。北海道に移住した小生もその一例だ。そんな時代に、自分の住居や家族の墓をどこに置くか?この二つが根本的に矛盾するようになってきている。それが今年という区切りの一年において小生が痛感していることだ。

3月にはカミさんの実家が兵庫県三田に遺している累代の墓を整理してきた。その近隣にはすでに誰も参る人がおらず、阪神大震災で倒壊したことも知らず、知らないうちに無縁仏として撤去され、無縁塔の中でまつられている事をつい昨年冬までは知らなかったのである。知った以上、対応する必要がでてきたわけだ。

小生の先祖の墓は愛媛県松山にある。そこにはまだ子のない叔父が生きているが、本流ではなく傍流である。本流は太平洋戦争で男子がみな戦死し、いまは絶えている。そこで本家の墓を小生の祖父が建てた墓に移葬したところだ。移すというそれだけのための純粋の宗教的行事であるにもかかわらず、ずいぶんな出費を叔父は強いられたそうだ。

日本人にとって ー というよりどの国の人も程度の差はあれ ー 広い土地に広い屋敷をもうけ、そこにずっと定住して落ち着いた一生を送るというのが伝統的な理想だった。しかし、その価値観はもう無理ではないのだろうか。子息をもうけても、子供の家族が同じ場所と屋敷で生きていく保証はなく、可能性からいえば、まず別の町で、あるいは別の国で人生を送るだろう。不動産は子孫の面倒、子孫のトラブルメーカーになるだけだ。<移動の自由>という古い言葉は、実家や故郷という言葉と一対になった言葉だったらしい。移動の背後には帰郷が期待されていたのだ。その帰郷は、もう随分、非現実的になってしまった。

ずいぶん昔に小生のゼミを卒業した学生は、JTBに就職した。別れる時に、住宅販売と旅行の企画の区分がだんだんなくなってくるぞと言った記憶がある。一週間程度の旅行が、長寿社会の中で1ヶ月程度の旅行が求められるようになり、それが春夏秋冬、季節ごとに自分の気に入った町で暮らしたいと思うようになる。一カ所に住む所を持っているよりも、行く先々で、滞在したい日数だけ、落ち着いて過ごせる場所がほしい。それもまた新しい時代の<旅行>であり、旅行を求めるニーズに応えるのが旅行会社の役割だろう。だから旅行会社と賃貸マンション、住宅販売業は、次第に重なってくる。そんな話しをした。

気に入った町ができれば、そこに長期で借りるよりも、小さくて瀟洒な、気の張らない家を持ちたいと願うようになるだろう。庭木も育てたいだろう。本宅と別荘という使い分けではなく、何カ所かに低廉で使い勝手の良い住宅をもつ。そうすれば死後に遺したときも相続させやすいし、売りさばくにも便利だろう。そして資産の大半は、不動産ではなく、貴金属、美術品などの動産でもつ。これが後の世代に迷惑をかけず、かつ喜ばれる「理想の生き方」になってきた。そんな風に思っている。

40年も前に国土総合開発計画のキャッチフレーズとなった「定住圏」という用語は真の意味で過去の遺物となった。表題に書いたように「多住時代」になってきた。そう読んでいる。芭蕉は、というよりオリジナルは8世紀の盛唐の詩人・李白であるが、『奥の細道』をこうはじめている。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
すべての人は、所詮、旅人ではないか。文字通りの旅人として生きるのが最適の時代、それが21世紀という時代ではないだろうか。いま小生は、そんな時代に適合した先祖の祀り方、追憶の仕方を考えあぐねている。

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