2012年10月29日月曜日

<政治主導型長期停滞>もあるかもしれない

マクロ経済は、色々な原因で変動する。需要要因だけでも建設(住宅)循環、設備投資循環、在庫循環は古くから着目されているし、最近ではIT循環がよく言及される。供給側に目を向けると、技術進歩率や労働生産性の循環変動がキーポイントになる。これらは成長ファクターでもあるので、成長理論と循環理論が一体になって展開されている。その他に、Political Cycle(政治循環)が認められるのではないかと随分前から言われている。「アメリカの大統領選挙年に景気後退なし」とよく言われるし、共和党と民主党それぞれが政権にあるとき、達成した平均的な成長率に格差があるということもよく話題になる。マルクス的な史的唯物論に立てば、政治は上部構造、経済は下部構造であるので、政治が経済の鼻ずらを引きずりまわすなどという可能性はありえない。

しかし、ニーアル・ファーガソン『マネーの進化』を読んでいると、こんな下りがある。
たとえばイギリスでは1989年から95年にかけて、住宅の平均価格は18パーセント下落し、インフレを調整した実質価格でも三分の一(37パーセント)あまり下がった。ロンドンでは実際の値下がりは47パーセント近かった。日本では1990年から2000年にかけて、不動産価格が60パーセントあまりも下落した。そしてこの本を執筆している時点で、・・・ケース・シラー住宅価格指数は、2006年7月のピーク時から、2008年2月には15パーセント下がった・・・(343ページから引用)
最近のアメリカの住宅価格には底打ちの兆候が認められる。ピーク比で概ね三分の一の下落率である。90年代前半の英国で生じた<バースト>とほぼ同規模のバブル崩壊であったわけだ。日本は、それに対して、1990年代後半までバブル崩壊後のグロッキー状態を引きずり、ついには1997年から98年にかけては金融パニックを引き起こし、2000年代に入ってからは日本発の金融危機が世界でも懸念されるまでになり、円ドルレートは暴落にもたとえられる程の下落を示した。要するに、同じ時代にバブル崩壊の洗礼を受けた点は同じでありながら、日本経済の急降下ぶりがえらく目立つのだな。

この違いが、日本の政治・行政システムの機能不全によってもたらされたか、それとも西村日銀副総裁が強調しているように<人口「ボーナス」から人口「負荷」への転換が起こったのが、日本においてはたまたまこの時期であったためか、おそらくは「人口オーナス」が日本経済の低成長をもたらしているのだろうと小生も思うし、低成長であるが故に有権者へ何かお返しをしたいと考えている政治家が右往左往している、たぶんこの図式であると思う。しかしフィードバック効果もあるかもしれない。政治家が経済に責任を持つべきであるにもかかわらずこの体たらくだ、やはり政治家という人間集団は無能極まりないなあと、だから日本国内で生産を継続しても仕方がないと。海外に拠点を移す方が合理的であると。その結果として、長期的低成長がもたらされるとすれば、これぞ<政治主導型長期停滞>。後の経済史専門家は、いまという時代をこんな用語で総括するかもしれない。

とはいえ、そもそも日本経済を再生したいと思って立法府を志すのは、小生、筋違いであると思う。起業するもよし、勉強して経営コンサルタントを営むもよし、もし行政に携わるのであれば行政官を目指すのが本筋である。選挙区の票を積み上げて議員などになるにしても実行できることはマンパワーから言っても、権限から言っても制約されているし、そもそも議案を議場で審議するのが本来の仕事なのだから。

まあ、幕末から明治にかけての時代を振り返ってみても、桜田門外の変があった1860年から王政復古・明治維新を経て西南戦争が終息するまでの1877年まで、新しい経済システムの構築で精一杯であり、政争と混乱の中で結果などは出る以前だった。それだけに17年かかっている。やはり瓦解から再生まで短くとも20年の雌伏は要されるようだ。明治体制での経済成長基盤が整うのは西南戦争後のインフレを解決した松方財政後であると見られる。元来の目的である産業革命に火が点ったのは日清戦争に勝利した1895年以降である。幕府では対応できなくなった時点から数えて40年余りを必要とした。とはいえ、日本の人口は江戸時代の停滞から明治に入ってからは急増期を迎えた。人口ボーナスの時代である。ここが現代日本とは正反対であり、問題解決に向けて最大の急所になっている。

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