2012年10月21日日曜日

日曜日の話し(10/21)

ずっと以前に<依存効果>という用語が経済学分野で一世を風靡した。高名な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが1958年に刊行した主著『豊かな社会(The Affluent Society)』の中で用いた造語である。

市場経済では、数多くの人たちが色々な商品に対してどのような評価を与えるかが、価格メカニズムによって調整されるので、ある意味<民主的>な資源配分ができるのである。自由資本主義を支持する人たちは、このようなロジックで市場メカニズムを評価する。しかし、実際には巨大企業が展開する広告・宣伝など販売促進活動によって顧客は商品の性能・効能・内容を知るわけであり、そもそも顧客自体が企業につくられる、顧客評価そのものが企業によってつくられたものである。ガルブレイスはそう見たのだな。企業は、独占的な価格支配力を活用して、自社製品を高く評価するように仕向けられた顧客に対し、高めの価格を設定する。つまりは製品差別化に成功するわけだが、その成果として巨額の独占利潤を得る。これがその時点の資本主義経済のありのままの姿である。まあ、こういう叙述をしたわけだ。

21世紀の初めにおいて激烈なグローバル競争にさらされている現実を振り返るまでもなく、アメリカの巨大企業の大体はガルブレイスの指摘の後、急速に没落してしまい、いま頑張っている優良企業はベンチャー企業から成長した会社である。ガルブレイスが描いた資本主義がどれほど当時の現実に当てはまっていたのか、今日では疑問符がついているようである。それでもなお、優位に立つ者によって<つくられた趣味、つくられた文化>という視点は、時に鋭い切れ味を示す分析ツールになる。これも事実だろうと思う。

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先週の日曜日の話しの中でロココ美術をとりあげた。そのロココ美術は、特に18世紀、1700年代の中盤からフランス革命にかけて、フランス・ブルボン王朝ルイ15世の治世の下で花開いた、というより寵姫ポンパドール夫人やデュ・バリー夫人が邸内で主催するサロンで作り出された装飾芸術である。芸術家たちはそれに応える作品を制作し続けた。

高校時代に天才ワトーについて読んだことがある。何が書かれてあったのか忘れてしまったが、真作を見たことはないものの、確かに優美にして華麗。いわゆる「ベルサイユの薔薇」的な美的感覚であるなあと感心した。


Watteau, The Embarkation for Cythera, 1717
Source: Web Museum 

とはいえワトーは早逝した。上の作品はワトー晩年のものであるが、まだルイ15世は即位後2年しか立っておらず、7歳の少年だった。ポンパドール夫人を愛するには余りに幼い。ロココ美術の成熟期は、更に一世代が過ぎ去って、18世紀の半ばを待たないといけない。その時期、サロンの美的感覚に応えて活躍したのは、ブーシェと先週とりあげたフラゴナールである。この三人がロココ三人衆。まあ出世頭である。ブーシェはポンバドール夫人の肖像画を納めている。これまたベルバラ風貴族趣味が横溢している。


Boucher,  Marquise de Pompadour, 1756
Source:Wikipedia

1756年ということは夫人が35歳の時の肖像である。ロココ趣味は次の国王であるルイ16世の時代になると次第に低調になり、その装飾過多が辟易されるようになった。所詮、<装飾>は、ありのままの姿を表に出さない志向、その意味では主観的なものである。美の標準は次第にルネサンスの昔に規範を求める新古典主義の時代になるが、それでも王妃マリー・アントワネットはロココ的な美と装飾を大変愛したそうである。革命直前期にもてはやされたロココという<つくられた美>は、その後、退廃芸術として否定され続けてきたが、最近になって再評価される向きもあると耳にしている。これが社会の退廃、主観の強調、人間の精神の衰えに起因する現象であるのかどうか、なかなか難しい問題だと思う。

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