2012年9月27日木曜日

自民党=改革政党を期待するとはネ!?

ヒョッとするとありうるな、とは予感していたが、自民党新総裁に安倍晋三氏が選出された。晋三の晋は幕末長州の志士・高杉晋作の晋であるからとも思えぬが、こんな批評、というか期待が早速出ている。
(前略)
安倍が本来の改革志向を前面に出し、さらに日本維新の会との連携も視野に入れて突き進めば、党内のライバルたちと衝突する。逆に党内情勢に目を配るあま り、穏健に進もうとすれば、国民からは「自民党を変えつつある」という評価を得られない。それでは肝心の総選挙でも勝てないだろう。なぜか。

 ふりかえれば、3年前の2009年総選挙で民主党が圧勝した理由はなんだったか。それは簡単だ。それまでの自民党政治を否定して「脱官僚・政治主導」 「中央集権から地域主権へ」という分かりやすいメッセージを打ち出したからだ。そして、いまの民主党の人気が急落したのは、3年前の公約を裏切ったから だ。

 脱官僚や地域主権という課題の重要さは、いまも変わっていない。日本維新の会が直近では支持率を落としているとはいえ、なお一定の強い支持を集めているのは、まさに「統治機構改革」という言葉で脱官僚や地域主権の実現を目指しているからだ。
(出所)現代ビジネス 9月27日(木)8時5分配信

「統治機構改革」自体は単なる衣装である。中身がどう変わるかであろう。結果がどう変わるかであろう。中身と結果が変われば、国民各層、各分野が得ている恩恵のあり方が変わるはずである。つまり国民各層の暮らしのあり方がどう変わるか?ここに行きつくわけであり、<改革>自体に小生は全くといっていいほど興味を持たない。<改革>であるかないかという分類は、全く無意味な論評である。歴史上有名な八代将軍・徳川吉宗が行った政策は、リアルタイムでは単に新しい政策であって、改革と自称してはいなかった。後になって崇拝者たちが「改革」と呼んだだけである。まして、本質的に改革的であった徳川綱吉や田沼意次の政策は、改革ではなく失政と評価されたりもしている。

どうも思うのだが、既存エスタブリッシュメント層の利益と顔を立てながら、新しい政策の方向を示すような提案をすれば、それは「失政」ではなく「改革」と褒めてくれるようにも感じられる。そもそも褒めるか、けなすか、その選択を通して社会的な影響を与えうる人間集団は、現時点における既得権益層であるに違いなかろう。

大体、安倍氏と言えば保守政治家として自他ともに許す存在である。改革をするなら、それは<保守改革>に決まっている。保守改革とは、既存の社会的レジームを再確認し、そのレジームの修正をしながら、既存エリートの主導のもとに、日本国の発展を図っていく態度を指す。意図するのは<上からの改革>であり、昔の学生運動風の用語を流用すれば<既存支配体制の強化>に違いないことは、基本的ロジックとして最初に出てくるはずである。改革を熱望する人は、まず改革を望むが、小生はそれが改革であるのかないのか、どうでもよいと思う。<事情通>が言う細々とした政治日程、政策課題の寸評は、井戸端会議以上の役割を果たしていない。されど、という面もあるが。
 「改革」という言葉は火の如く彼の人の口から発せられしも
世は彼の人の意図を見ず
世の人は言葉を心地よげに聴き
暗示する未来には思いが及ばざればなり
 1930年代の日本とドイツが歩いた道を再び歩く可能性もゼロではない。

× × ×

ただ「お前は野田現政権のほうを支持するんだな?」と問われれば、実は小生、安倍晋三という政治家には個人的共感を持っているのだ、な。

次の総選挙で自民党が勝利して仮に総理大臣に就任するとすれば、外交、教育、憲法改正という順で政策を考えているようだが、永年の主たる持論である憲法改正へ、一直線に進むべきだろうとは期待しているところだ。与えられた時間は短く、果たすべき課題は余りに重い。現在の日本国の政治制度においては、首相は何か一つの結果を出せば、それで十分であり、二兎を追う余裕は残らないのではないか。

こんな立場に立っていることは心覚えに書いておきたい。

× × ×

とはいうものの、同氏が6、7名程度で政府を指導するなら、力量を発揮する可能性は高いと思うのだが、現在は国務大臣だけで15名も任命しなければならない。副大臣、政務官を含めれば学校の一クラスと同じ人数だ。学力試験をするわけでもなく、現場で鍛えられてもおらず、単に選挙を通っただけの国会議員に、それほど有能で、かつ行政の責任者になりうる人材がいるとは想像できない。しかしながら、政権を獲得すれば、極力、国会議員を中心に内閣を組織するだろう。

与党を攻撃している間は、颯爽とした指導力を発揮すると思うのだが、政権を維持する側に回ると、玉石混交の国会議員集団の<石の部分>が露呈するだろう。同氏本人の力量、抱いている理念の妥当性とはほとんど関係のない事柄から ― そもそも国民は首相の理念や哲学などは聞こうとしないものである ― いずれ安倍氏は辞任を求められる。小生、そんな展開を予想している。

民主主義は、どんな目的に、なぜ必要とされ、そして望ましいのか?そんな議論をしたくもなるところだが、今日はここまでにしよう。


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