2012年6月15日金曜日

政治モデルはビジネスモデルのようにいかない、ここ日本では

税と社会保障で与野党協議が、難航というか、巡航というか、とにもかくにも匍匐前進の如く進んでいる。首相は政治生命をかけるといい、幹事長は継続審議でお茶を濁そうとしているようであり、自民党はやれと言い、与党内はやらないでくれという議員が多いようだ。こういう状況を政治的バトルロイヤルと言うのだな。政党政治であるにもかかわらず、何故こんなことが起こりうるのか?まあ、説明は色々と専門家の方々がつけているようだ。要するに、こんな状況はよろしくない。そう言えるのか?

ビジネスには、優れたやり方、勝てるやり方がある一方で、勝てないやり方、駄目なやり方もある。インターネットが登場すれば、販売におけるネットの活用が主戦場になってきた。ビジネスの在り方を振り返ると、明らかに技術進歩、イノベーションが実現されている。科学技術上の進歩を応用して、ライバルに打ち勝つ戦略を練れば、その結論として「今までのやり方ではだめだ」と。当然、そんな議論が出てくるわけである。

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私事にわたるが、小生は数学上の計算をすることが結構多い。ところが紙を消費することが減ってきた。特に数日前、待望のiPadがやってきて以来、計算はすべてPenultimateでやるようになった。分量が多くて一冊のノートにまとめた方がよいものは、Noteshelfを使っている。こうすると、文献を読みながら計算を確かめたり、コメントをまとめる時に、実に便利である。計算したら、それをそのままEvernoteに送る。キーワードをタグにつけておいて保存するから、やったはずの計算がどこかに行ってしまって、仕方がないから再度やりなおすなどという事態は確実になくなった。「あれはどこに行ったかな?」と思えば、Evernoteと接続して ― 接続はPocket WiFiでどこでもできる ― 検索するだけでよい。ズバリ、効率性の向上をもたらしている。下は二日前に授業の準備で書いたメモだ。


これはもう手放せない。

17世紀の英国で天文学者ハレーが物理学者ニュートンに「惑星の軌道は楕円だと考えるのですが、どう思いますか?」と質問したところ、ニュートンは即座に「そう、楕円だ」と答えた。そこで驚いたハレーが「すぐに答えられましたが、なぜそう言えるのです?」と聞くと、「ずっと以前、計算で確かめたからさ」と言う。「その計算をいま拝見させてもらいたいのですが」とハレーが頼むと、「いいよ」と応じる。ところが、ニュートンが、部屋中の紙や本の間をひっくり返して探したものの、既に十数年も前に計算したメモは見つからなかった。そこでハレーが勧めたことは、ニュートンが自身の研究成果を体系的にまとめて本にすることだった。歴史的古典「自然哲学の数学的原理」(Philosophiae naturalis principia mathematica)はこうして登場した。その執筆の途中で、ニュートンが必要な計算や証明を再度繰り返したことは言うまでもない。

ニュートンがiPadとPenultimateを持っていれば、楕円軌道の計算結果を即座に取り出せたことであろう ― その場合は、プリンキピアも世に登場せず、物理学の発展の歴史もまた変わっていたかもしれないが。

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こういうイノベーションが、政治領域でもありえたと思うし、事実進んできたはずだと思うし、経済では可能だが、政治では無理だという理屈はないように(小生には)思えるのだな。だとすると、いま現在の日本の政治は、30年、40年も前のこの国の政治と比べて、どの側面がどの程度まで進歩していると言えるのか?ニュー・ビジネス・モデルは事業において成功する第一歩である。1930年代末、ニュー・ネイヴァル・モデルまであと一歩のところまで行きながら相手側に先を行かれたことが、日本海軍の戦略的敗北の主因となった。いま日本の政治において、ニュー・ポリティカル・モデルを見出そうとする努力は払われているのか?

この20年の日本の経済的停滞は、要するにイノベーションの停滞である。多くの人は需要がないからというが、それは逆であって、競争優位性を失ったからこそ、顧客を奪われてきたのである。ライバル企業が、新興国が、同じものを安く作れるようになったので、日本は顧客を奪われたのである。日本は新しい提案を行うことに失敗したのだ。それは新しいものを生み出す力が不十分だったためである。ないとすれば新興国の同輩と同じ生活レベルを甘受するべきだ。それをしないから競争優位性が毀損されたのである。経済に停滞をもたらしたこの因子は、共通因子として、政治領域においても働いていると思うのだ。

やはり小生はグリーンスパンの目線に共感するなあ。要約すれば、どうすれば良いか分からないとき、どうすれば善いかという議論がまとまらないときは、当事者の自由意思にゆだねるのだ。政治的イノベーションを加速させたいのであれば、総務省による公職選挙規制を緩和し、政党の活動の自由を広汎に認め、更に多くの分野から多くの主体が政治分野に参入する自由を広く認めるのだ。この政治自由化は、良く言えば「導火線」となり、悪く言えば「パンドラの箱」になるだろう。

政党が大学キャンパスの中で交流サークルを運営してもよいではないか。政党が就活支援を行ってもよいではないか。政党がドラマのCMを常時流してもよいだろう。ある政党が労働組合から資金的支援を得るのであれば、他の政党はIT産業からじゃんじゃん支援を受けてもよいだろう。それによってプラスになる便益と、それはまずいという負の側面を比較秤量すればよいのである。最初から「これは悪いことだ」と決まっているものはないものだ。そう決めているだけである。

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