2012年4月6日金曜日

米欧経済、原発再稼働、二つの不安

記録ハズレの春一番のあと、大きな不安の波が、それも二つの波が寄せてくる兆候がある。

一つは米欧経済の先行き不安。ロイターでは次のように報じている。
[ニューヨーク 5日 ロイター] 5日の米国株式市場はダウとS&P500が3日続落。ユーロ圏債券への売り圧力の高まりを受け、欧州の金融安定をめぐる懸念が再燃した。 
市場ではユーロ圏、特にスペインをめぐる懸念が高まっており、同国の10年債利回りはこの日も上昇、マドリード株式市場の主要株価指数は7カ月ぶり安値をつけた。
米FRBによる第三次量的緩和(QE3)は、いざという時の特効薬にとられている方策だが、QE3実施の見込みは当分なさそうになっている ― 少なくともFOMCの議事録をみれば。FRBの判断自体は、原油価格の動向をみれば自然だと思われるのだが、金融面の下支えがなければ、これまでの経験則通りに原油高=米国景気後退となるのではないか、そう予想して株式市場では失望売り、リスク回避の状況になってきている。その原油高の背景には、投機資金の動きもあるだろうが、それを実態面で支えるイランとホルムズ海峡問題をとりまく不安定な状況がある。リスクの高まりは、割引率をあげるので株価は低下し、原油価格はリスク・プレミアムというコスト上昇から取引価格が上がる。こういうロジックだ。

それから欧州ソブリン危機の再燃懸念。上のロイターではスペイン国債の利回り上昇(=国債の売り圧力の高まり)が報じられている。この背景には今月のギリシア選挙がある。先月にデフォールトを避けるため緊急避難的な資金が欧州主要国から供与されたが、その時の約束は財政緊縮の誠実な実行であった。しかし、その約束は政権与党を縛るのであって、野党が勝利するとどうなるかわからない。野党は「財政緊縮など蹴っとばせ」と息巻いている。特に生活苦に窮して老人が自殺する事件があってから、ギリシア国民全体の雰囲気が変わってきているというから、ギリシアの先行きは混沌としている。ギリシアで野党が勝利すれば、EUとの約束は破棄される公算が高く、そうなれば今後の債務調整、国際収支均衡の目処はたたず、EURO圏から脱退しドラクマ暴落をテコにして経済立て直しをすすめる。まさにアイスランドが選択した道を歩むことになる。ギリシアにとってはそれでよいが、独仏墺の銀行が被る損失は巨額で、しかもスペイン、イタリアにも飛び火するだろう。こうなればEURO危機となる。

<原油危機>と<ギリシア不安>だ、な。いずれも<アリの一穴>で堤防が崩れる格言を地でいっているのが現在の状況である。

× × ×

世はかほどに不確実である。そんな不確実性は<原発再稼働>問題についても、当然、あるわけである。福島第1事故の真因もまだつきとめられていない。それなのに原発を再稼働させるというのは、これまでになくリスクが大きい。とはいえ、原油高・天然ガス高が今後どこまで進むか分からない。そんな時に国内の原発設備が全面ストップすれば、それだけでも電力コストを大幅に上げることになる。企業はそれに耐えられないというリスクがある。電気料金を無理に抑えると、電力企業が財務的に頓死するリスクが高まっている。電力企業を救済するために国がカネを注入すると、日本発のソブリン危機があるかもしれない。「電気を使わないようにしよう国民運動」― そんな愚かな行動を日本人がするとは思えないが、もしすれば服を体に合わせるのではなく、体を服に合わせることになろう。豊かな暮らしから自ら辞退するという選択だな。それもよいが、経済力がなくなるという帰結から逃げるわけにはいかない。やはりソブリン危機への道が待っている。

再稼働すると、事故というハザード・リスクがあり、再稼働を延期しても経済混乱というエコノミック・リスクがある。正に前門の虎、後門の狼、ここに進退窮まった、というわけだ。

今朝の国内各紙の一面には<原発再稼働三基準>を首相と三閣僚が了承したという報道がある。日本人は本当に「三▲▲」という言葉が好きなのだねえ、と。三羽烏、三本の矢、三種の神器などなど。ただ、この取り組み方は、典型的に官僚的・法律的・手続き的な発想である。悲しくなるほどに行政執行の枠の中でリスクを処理しようとしていると言わざるを得ないのだ。

リスク・マネジメントに何より大事であるのは、まずは情報と分析であるはずだ。たとえば4月5日付け北海道新聞朝刊によれば
少なくとも福島第1の2号機は、津波の前に地震の揺れで圧力抑制室が損傷した可能性が大きい・・・東電が3月下旬に2号機格納容器の水位が60センチしかないと発表しましたが、破損した圧力抑制室から水が漏れていたと考えるとつじつまがあう。
と、田辺文也氏は語っている。同氏は、旧日本原子力研究所で原発の安全解析に携わってきた専門家であり、現在は社会技術システム安全研究所所長である。更に、同氏は
電力会社も地震で損傷したとは認めません。認めると、全原発の耐震設計を見なおさねばならず、津波対策ばかりを前提した再稼働ができなくなるからです。
こうも発言しているのである。原発事故の主因をどうみるかによって、今後、再稼働するにしても進めていかなければならない方策、つまり再稼働後の管理システムが変わってくるはずである。

他方、再稼働をしないままにして、原発抜きでエネルギーを供給するとして、日本のマクロ経済的状況にはどのような波乱が予想されるのか。その定量的な予測は、完全ではないにしても、内閣府の経済社会総合研究所ならできるはずである  ― もちろん経済産業省にも計算を行う能力自体はあるはずだ。旧・経済企画庁がまだ機能していた時代には、こういう種類のシミュレーション結果が必ず国会の場で明らかにされていた。いやいやその後の小泉内閣の時代にも経済財政諮問会議事務局として必要な詰めの作業を担当していたと記憶している。なぜ原発再稼働をしない場合のリスク評価がないのか。否、ないはずはないのである。国民に分かりやすく伝えられていない。国会の質疑応答の場で明らかにされていないということだと思う。小生は、最近のことの進展ぶりには、絶句を通り越して、その劣化ぶりに呆れる思いがする。

そういう実質的な作業の積み重ねから結論なり、判断が、最後の段階で自然に出てくるのが、本来は理想のはずである。その実質的な作業に最大のエネルギーを投入することなく、手続き的形式を整えることに何より精力を注ぐという、いまの政治のあり方。これで暴動も何も発生せず、マスメディアも「ああ、そんなところですか」と批判もせずに放置する状態。これは官僚行政機構を乗り越える何ものも私たち日本人が作り得ない、正にそのことを教えてくれている。そんな風に思うのですね。「そんなことなのか・・・」と。無意識のうちに河を渡ってしまった。まさにRiver Of No Return、そんな不安を感じてしまう<原発再稼働三基準>なのである。

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