2011年12月10日土曜日

ドイツの経常収支黒字の一定比率を自動的に他国に贈与すればいいのではないか

今日は昼前に出発して三笠市の山崎ワイナリーまで赴き、シャルドネ2009とシャルドネ樽発酵2009、それからワイナリー直売限定のプライベートブレンドを購入してきた。バインヤードはすでに白い雪に覆われ、あたり一面は銀世界である。


同ワイナリーの絶品とも言えるケルナーは、行くのが半月ほど遅くなったため、残念なことに既に完売となってしまった。それは来年に期待するだけだが、いまはシャルドネが購入可能である。行くとツヴァイゲルトも並んでいた。

シャルドネは、シャブリもそうだが、フランス・ブルゴーニュを特徴付ける酸味の強い風味である。キリッとした感覚を予想していたが、オーク樽で発酵させたシャルドネ樽発酵2009の残り香には参った。あとをひきそうだ。プライベートブレンドは、直売限定である。こちらは弱発泡で、やはり酸味が強い。

率直にいうとケルナーの出来栄えが忘れられない。いつもはサッポロのランスで楽しんでいた。ワイナリーまでいけば半額で購入できた。週刊エコノミストで国内ワインのレベルが紹介されていて、そこには北海道ワインとサッポロワインのケルナーが推薦されていた。山崎ワイナリーのケルナーは、多分、数が少ないので知られていないのだろう。

いずれにせよ、来年は買い逃さないようにしたいものだ。

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日経の一面下はコラム記事「春秋」だ。朝日新聞なら「天声人語」で、ここを執筆するのは、酸いも甘いも噛み分けた社内のベテラン記者で、いわゆる<主筆>と呼ばれる人ではなかろうか?その春秋だが、今日はドイツについて書かれていた。

欧州の経済的混乱の中、ドイツが色々と複雑な視線のもとに置かれていることは、全く現代史を知らない人でも大体は想像できるはずだ。

・・・あざ笑うかのように、「欧州では、みんなドイツ語を話せばいい」と言い放ったメルケル首相の側近議員がいる。たしかに言語の勢力図をみると、オーストリアやベルギーの一部を含むドイツ語圏は広大だ。EU内ではドイツ語を母語とする人口が最も多く、2位の英語を大きく引き離している。 
とはいえ、他国を見下す気持ちがあるなら、それは思い上がりというものだ。ドイツ経済が好調なのは通貨統合のおかげでもある。
こんなことが記されているのだな。最後の下りにある「ドイツ経済が好調なのは、通貨統合のおかげでもある」で何を言いたいのか、最初はよく理解できなかった。「通貨統合でドイツが助かる!?ユーロで助かっているのは、ギリシアやイタリアではなかったのか?誰の信用のおかげで、ここまでカネを借りられたのか?」と、そういうことである。

しばらく考えて分かった。通貨統合なかりせば、いまだにイタリアはリラを使い、ドイツはマルクを使っているはずだ。そして経済強国のドイツのマルクは増価し、イタリアのリラや、ギリシアのドラクマは減価していたであろう。そうすれば、ドイツの製造業はここまで輸出を伸ばすことはできず、欧州でドイツの産業が一人勝ちになることもなかったはずだ。EUの通貨統合は、いわばドイツには為替レート安、ギリシアやイタリアには為替レート高を実質的には押し付けたわけであり、その恩恵をドイツは最も大きく受けたのである・・・と。

なるほどねえ。これが経済法廷で、筆者が南欧諸国の弁護人であれば、このような意見を陳述するであろうと小生もようやく納得したのだ。

しかし、どうなのだろうなあ?これは分別なく借金を借りた側の開き直りに近いのではないかなあ?「お前がおれにカネを貸せるだけの力を得たのは誰のお陰だと思うのだ。おれが怠慢で、その分、お前が勤勉である故ではないか?おれがサボっているからお前の努力が努力になるのだよ。この成功が貴様の努力だけの結果だと思うなよ。おれが同じように努力していれば、これほどお前が成功していたわけじゃないのだ!お前の成功の半分はおれのお陰なのさ!」。こんな理屈だって、あることはある。

さて、日本国内では国税は国に帰属するほか、給与賃金は従業員に分配されるが利益は本社に帰属する等々から、カネは大都市圏に集まり、地方は資金不足となる。そのため財政を通して地方交付税が配分されたり、公共事業の国庫負担を通して地方に資金が移転されている。それで大都市、地方という二つの経済圏が資金ショートをおこさず、日本全体として円滑に機能している。もし資金の流れがストップすれば、地方で生産活動が停止する。地方の生産が停止すれば、大都市に本社を置く大企業の経営が打撃を被り、結果として大都市圏の所得も減少する。システムとしては、日本国内の大都市圏と地方は、一心同体であり、どちらが欠けても国家経済としては機能しない。だからこそ、大都市で集まる余剰資金は、税として吸収され、その一定比率が自動的に地方に移転されたり、地方の販売促進、工場建設などで還流しているのだ。

日経「春秋」の筆者の物言いは、いささか勝った側に辛く、負けた側に同情的に過ぎるきらいはあるが、もしも欧州経済が真に一心同体のシステムであるべきならば、ドイツで計上した余剰資金(=経常収支黒字)の一定パーセントは、自動的にギリシアやイタリアなどの経済弱国に移転してもいいだろう。これはドイツの金でギリシャやイタリアの国債を買い支えることと同じことになる - 但し、移転だからカネの貸借ではない。贈与だ。とはいえ、その分、心理的負担が生じる。資金を供与する以上は、ドイツがイタリアやギリシアの経済政策を承認するかどうかの権限を持ちたいところだろう。実際、日本の自治体が起債で資金調達するときには、霞が関の中央政府の了解がいる。同じように、南欧諸国が自国の資金不足をドイツの金で補填する以上は、ドイツの了解がいるだろう。となれば、カネをもらう以上は、くれる人が話す言葉を勉強するくらいのことは、やってもバチはあたらないだろう。

ま、大体、こんな意味合いで、「欧州では、みんなドイツ語を話せばいい」と、当のドイツ人閣僚が口にしたというのであれば、それは確かにそうでもあるなあ、と。小生は、それほどドイツが他国を見下しているという気はしないのだ。

実際、日本の地方は中央に対して、そのような従属的行動を迫られてきたのだから。それと同じで、日経本社に勤務する御仁たちも、地方経済圏に居住する関係者に対しては、おそらく同様のビヘイビアをとってきたのではないだろうか。自分たちの価値観や判断が主であり、相手は資金を頂戴する以上は従属的であるべきだと。調整を必要とする問題があれば、その調整権限をどこに置くかを決める必要があり、権限を設ければそれを行使する側が主となり、される側は従となる。それは<制度化>にほかならず、一方の側の<思い上がり>とは言えないだろう。

いや、今日は多少ルサンチマンが過ぎることを書いてしまったようだ。

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