2011年12月25日日曜日

日曜日の話し(12/25)

来年度の政府予算案が固まったようだ。評判は良くない。これこそ惰性の中で復興と成長と福祉の全部を目指すもので、「まあ、何とかなるでしょう」を地でいく数字作りでありますなあ。そんなところである。

なにより一年の収入が何にあてられているか?家計の用語でいえば、約4分の1がローン関係費。元本返済と利払い。それから仕送り(=社会保障関係費)が4分の1強。諸会費(=地方交付税)が5分の1強。曲がりなりにも中身のある支出は半分もない。ただこれも、教育と科学振興が6%、国防が5%、公共事業が5%、こんな風なツマミ食いである。日本の国家予算の半分以上は、左から右へ現金のまま通り抜けているだけだ。家政婦に支払う賃金(=公務員給与)は、概ね5兆円。比率では5%強という辺りだ。ま、人を雇うのが勿体ないと言えば勿体ないとも言えるのだが、ここを少し切り詰めた所で、所詮は<焼け石に水>である。

しかも、こんな支払いを賄うため、借金による資金調達が49%。大体、働いている若い衆が収入だけでは足らずに、カネを借りて、ご隠居の治療費や生活費まで工面し始めたら、その家は<これが、ホントの、おしめえ>だ。

日本は、政府は大赤字だが、国全体では黒字である。ここのところを何故マスメディアは分析・検討・議論しないのだろう?いらぬことを書いて、販売動向が落ちるのが心配だというのは分かるが、読者はバカではない。状況と原因を正しく伝えるのがマスメディアの責任と思うのだが、いつまで中身のない<政府に反対・政府を批判>を続けるのだろう。

今日はクリスマスだ。宗教的意味合いは、個人的にはないのだが、平穏な気持ちで一日を過ごしたいと思っている。国の予算とはいえ、見ていると情けなるのが、偽らざるところだ。話題を変えよう。

× × ×

Raphael, Madonna and Child Enthroned with Saints, 1504

私は飲み込みが早い方なので、美術家たちはよろこんで私にいろいろなことを教えてくれる。しかし、理解したところで、すぐ実行できるというわけではない。物事を速やかに理解することは、たしかに精神の特質ではあるが、しかし物事を立派に仕上げるためには、一生を通じての練習が必要である。 
けれども、いくらその腕が鈍くても、素人はそれに辟易してはならない。私が紙に引く少数の線は、しばしば投げやりに過ぎて正確なものではないにしても、感覚的事物の表象を作る上によい助けとなる。何となれば、私たちが事物をより正確にまた明細に観察すればするほど、私たちはより速やかに普遍的なものへと高まることができるからである。(出所: ゲーテ「イタリア紀行」、岩波文庫の上編、231ページ)

この普遍的なものにこそ本当の価値があると考えるところに古典主義者ゲーテの面目があるということだ。とすれば、個々人の内心の動機に本質的な価値があると考える19世紀末の表現主義者とは真逆の立場である。

ゲーテ: 世の中はいつも同じものさ。いろんな状態がいつも繰り返されている。どの民族だって、ほかの民族と同じように、生きて、愛して、感じている・・・ 
リーマー: 生活や感情が同じだからこそ、ほかの民族の詩を理解することができるわけですね。そうでなかったら、外国の詩に接しても、何を歌っているものやら、とんと分からないでしょうな。
(出所: エッカーマン「ゲーテとの対話」、岩波文庫の上編、175ページ)
自分の外界に自分を束縛する何かの原理、共有して持たれている規範とかモラル、こんな概念から議論を始めると、古典主義という立場になることは、小生にも理解できることだ。

自分とは別の模範・規範ではなく、個々人の内面の動機と思いに最高の価値を認めるとすれば、つまりは個人個人の思いつきや独善を野放しにすることにならないか?誰でもが心配になる点だ。しかし、そう考えるしかない。人間が普遍的だと考える規範も、その起源は特定の誰かの利益のために規範として受け入れられてきたに過ぎない、真に普遍的な価値など、人は永遠に知ることができない、自然の働きに神の摂理が現れているのではなく、人の心の中にこそ神はいる、そう割りきってしまうと古典主義という考え方自体が無意味になる。

しかし、余りにも寂しいではないか。本当の美、本当の善は、時代を超えて、国を超えて、人の心を打つものだ。そう考えたくなるのがクリスマスからあとの年末年始ではなかろうか。個人がバラバラに100万人いるのではなく、<私たち>がいまここにいる。そう考えなければ、大震災を乗り越えることも難しいではないか。

そういえば、あるドイツ紙が「いま欧州にとって重要なのは”Wir(=We)”という立場だ」。そんなことを先日書いていた。そこで、英国は”Wir”という見方をついに我々とは共有できなかったのだと論じていたなあ。


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